サントス・ドゥモン空港
Aeroporto Santos Dumont
空港全景。遠方の山はポン・ヂ・アスーカル
駐機エリア
IATA: SDU - ICAO: SBRJ
概要
国・地域 ブラジル
所在地リオ・デ・ジャネイロ
種類軍民共用
運営者Infraero
方向 長さ×幅 (m) 表面
02R/20L 1,323×42 アスファルト
02L/20R 1,260×30 アスファルト
統計(2018年)
旅客数920万人
発着回数100,144回
出典:空港公式サイト,[1] ANAC[2] Statistics: Infraero[3]
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サントス・ドゥモン空港(サントス・ドゥモンくうこう、葡: Aeroporto Santos Dumont)は、ブラジル連邦共和国のリオ・デ・ジャネイロ市内にある空港。 リオ・デ・ジャネイロの港湾部にあり、リオ・デ・ジャネイロの中心地から僅か2kmに位置している。しかし短い滑走路が2本しかない上に、立地上拡張も難しいことから、現在は中型機以下の旅客機による国内線と、個人用小型機のみが運行されている。国際線はアントニオ・カルロス・ジョビン国際空港に発着する。 1936年に、当時ブラジルの首都でブラジル第二の都市であったリオ・デ・ジャネイロ初の民間航空機兼用の空港としてボタフォゴ湾に面した海軍基地に隣接して建設された。空港名はリオ・デ・ジャネイロ出身の航空家で、南アメリカとヨーロッパの航空のパイオニアのアルベルト・サントス・ドゥモンから取られた。リオ・デ・ジャネイロ中心部に近接した利便性の高い場所に位置しており、国内線のみならず、アルゼンチンやウルグアイ、パラグアイなどの近隣諸国の主要都市へ、ダグラス DC-4やダグラス DC-6、コンベア440などのレシプロ機を使用した近距離国際線も多数発着していた。 1952年にアントニオ・カルロス・ジョビン国際空港(ガレオン国際空港)が開港したため、全ての国際線の発着が同空港に移転した。滑走路が短くまた延長できないサントス・ドゥモン空港には、1950年代当時の中長距離用ジェット機が就航できず、1950年代後半に就航したボーイング707やダグラス DC-8、コンベア880をはじめとする中長距離用ジェット機を使用した便は、全てガレオン国際空港を利用した。リオ・デ・ジャネイロ都心に位置するという地の利の良さを生かして、国内線専用空港としてヴァリグ・ブラジル航空のロッキード L-188・エレクトラやVASP航空の日本航空機製造YS-11などによってブラジル国内各都市への国内線が多数運航されることとなった。1959年まで首都であったリオ・デ・ジャネイロとサンパウロ間の航空需要は特に大きく、コンゴーニャス空港との間に複数の航空会社によってシャトル便「ポンチ・アエーレア(空の架け橋)」が開設された。 1960年代以降、ジェット機の性能が向上し、短い滑走路への離着陸が可能となった。1970年代以降はボーイング737、1980年代以降はエアバスA320、フォッカー 100などの中、小型ジェット機の運航が開始された。しかし、1999年に火災で旅客ターミナルのほぼ全域が焼失した。その後一部機能が回復するまでの6ヶ月間は民間定期便(プライベート機を除く)の乗り入れが停止され、すべての便が一時的にガレオン国際空港に移転した。2004年以降、サンパウロのコンゴーニャス空港への「ポンチ・アエーレア」や、ベロオリゾンテやブラジリアなどへのシャトル便を除いた一部の国内線定期便が、当時稼働率低下に悩まされていたアントニオ・カルロス・ジョビン国際空港へと移り、混雑状態は一旦解消された。
概要
歴史初代ターミナル(1936年)