サンダーアーム/龍兄虎弟
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サンダーアーム/龍兄虎弟
龍兄虎弟
The Armour of God
監督
ジャッキー・チェン
エリック・ツァン(ノンクレジット)
脚本エドワード・タン
バリー・ウォン(黄炳耀)[注釈 1]
ロー・キン
シト・チクホン
ジョン・シェパード
製作レナード・K・C・ホー
チュア・ラム
製作総指揮レイモンド・チョウ
出演者ジャッキー・チェン
アラン・タム
ロザムンド・クワン
音楽マイケル・ライ
撮影ボブ・トンプソン
ピーター・ニョール
アーサー・ウォン
アブドル・モハメッド・ラムジャン
チャン・ユージョ
配給 ゴールデン・ハーベスト
東宝東和
公開 1987年1月17日[1]
1986年8月16日[1]
上映時間98分
製作国 イギリス領香港
言語広東語
製作費$15,000,000
興行収入$35,469,408[1]
\1,360,000,000 [1]
次作プロジェクト・イーグル
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サンダーアーム/龍兄虎弟
各種表記
繁体字:龍兄虎弟
簡体字:?兄虎弟
?音:Long Xi?ng H? Di
注音符号:?????????????
発音:ロンシィォンフーディ
広東語?音:Lung4 Hing1 Fu2 Dai6
英文:Armour of God
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『サンダーアーム/龍兄虎弟』(サンダーアーム りゅうけいこてい、原題:龍兄虎弟、英題:The Armour of God)は、1986年香港で製作されたジャッキー・チェン主演のアクション映画
概要

1987年の香港興行成績ランキングで堂々1位[注釈 2]を獲得した大ヒット作品。ジャッキーが演じる主人公は、役名もジャッキーのままだが、別名を“アジアの鷹” (Asian Hawk) と名乗っている。『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』で大人気の冒険活劇ヒーロー、インディ・ジョーンズのアジア版といった趣きの、秘宝をもとめて、どんな危険な場所へもおもむくトレジャー・ハンターである[2]。香港の人気歌手のアラン・タムや『プロジェクトA2』などに出演したロザムンド・クワンほか、『スパルタンX』でヒロインを演じたローラ・フォルネルと再共演している。

また、撮影中にジャッキー・チェンが頭蓋骨骨折の大怪我を負ったことでも有名。その後、彼の回復力はめざましく、頭にぐるぐる巻きの包帯をしたまま当時、世界的に有名だったパリのレストラン「マキシムド・パリ」に行ったときのこと。ジャッキーはいきなり包帯をガバッと取って「頭が痒くてしかたないんだ」と言うなり、ゴシゴシ掻き始めたという。これには周りのお客さんたちも度肝を抜かれたらしい。

「アジアの鷹シリーズ」として1991年に続編となる『プロジェクト・イーグル』が製作され、2012年には約20年ぶりとなる第3弾の『ライジング・ドラゴン』が製作された。
ストーリー

数千年前、世界中に散逸した5種の神の武器を集め、世界を支配しようと企む邪教集団。彼らは冒険家アジアの鷹ことジャッキー(ジャッキー・チェン)を利用しようと企む。

そこで彼らはジャッキーの親友アラン(アラン・タム)の恋人ローラ(ロザムンド・クワン)を誘拐し、ジャッキーに協力を要求する。
キャスト

役名俳優日本語吹替
ソフト版
フジテレビテレビ朝日
アジアの鷹・ジャッキージャッキー・チェン石丸博也
アランアラン・タム森川智之関俊彦堀内賢雄
ローラロザムンド・クワン日野由利加佐々木るん岡本麻弥
メイローラ・フォルネル園崎未恵土井美加勝生真沙子
バノン伯爵ボジダール・スミルジャニック金尾哲夫阪脩内田稔
魔王ケン・ボイル樋浦勉安田隆内海賢二
教団長ジョン・ラダルスキー塾一久飯塚昭三青野武


ソフト版:BD&DVD(日本語吹替収録版)演出:市来満

フジテレビ版:初回放送1988年10月15日『ゴールデン洋画劇場

テレビ朝日版:初回放送1996年1月14日『日曜洋画劇場

なお、テレビ朝日版とフジテレビ版でそれぞれ主題歌が異なっている[注釈 3]


スタッフ

監督/武術指導:
ジャッキー・チェン

原案/監督補:エリック・ツァン

脚本:エドワード・タンバリー・ウォン(黄炳耀)[注釈 1]、ロー・キン、シト・チクホン、ジョン・シェパード

音楽:マイケル・ライ

武術指導クルー:ジャッキー・チェン・スタントチーム(成家班)、ユエン・チョンヤン、ラウ・カーウィン

製作総指揮:レイモンド・チョウ

製作:レナード・ホー、チュア・ラム

製作会社:嘉禾電影有限公司、威禾電影製作

作品解説

作品自体の企画は、1985年3月の時点でエリック・ツァンの企画として新聞に紹介されていた。そして『
ポリス・ストーリー』、『ファースト・ミッション』、『七福星』と立て続けに3本の作品の撮影を終えたジャッキーは、エリック・ツァンと本作の製作に取り掛かり始める。

撮影は1985年8月にジャッキーがユーゴスラビアへ。その後、9月2日に『ファースト・ミッション』のプロモーションのため来日、9月4日には日本を立ち、ふたたびユーゴスラビアへ。飛行機を丸々2日かけて乗り継ぎ9月6日に到着したが、その翌日9月7日にユーゴスラビアで撮影中に15メートルの高さから落下、頭蓋骨骨折の大事故に遭い、撮影を3分の2ほど残し一時中断。翌1986年3月に撮影に復帰し、製作が再開された。それまでの監督であるエリック・ツァンに交代し、ジャッキー自らメガホンを取ることになった[3]。そして1985年10月17日にヨーロッパの病院で精密検査を受け、無事退院して、香港へと戻ることができた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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