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映画祭会場(2015年)
イベントの種類映画祭
開催時期毎年1月中旬から11日間
初回開催1978年
会場 アメリカ合衆国
ユタ州パークシティ
主催Sundance Institute
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サンダンス映画祭(サンダンスえいがさい、Sundance Film Festival)は、アメリカ合衆国の映画祭。ユタ州のスキーリゾート地で有名なパークシティで、1978年より毎年1月中旬から11日間に渡って開催されている[1]。インディペンデント映画を対象とし、数万人規模の客を招き約200本もの長・短編映画が上映される。日本のNHKがスポンサーに名を連ねている。
名称は、この映画祭を主催するロバート・レッドフォードが映画『明日に向って撃て!』で演じた役柄サンダンス・キッドに由来する。 1978年、映画製作者たちをユタ州に惹きつけるのを狙いとして、俳優・映画監督のロバート・レッドフォードが「ユタ・US映画祭」として始めた。当初のメイン・イベントは古い映画の回顧展で、映画製作者らによるディスカッションなどが行われた。しかし、当時すでにハリウッドの外で制作された映画群によるプログラムも含まれていた。ユタ州で開催するのはレッドフォードがユタ州の住民であったためである。 サンダンス映画祭はケヴィン・スミス、ロバート・ロドリゲス、クエンティン・タランティーノ、ジム・ジャームッシュ、ポール・トーマス・アンダーソン、デイミアン・チャゼルなどの映画監督の知名度を上げた。また『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』『セックスと嘘とビデオテープ』『ソウ』などのインディペンデント映画を有名にしている。 この映画祭が他を圧倒しているところは、観客に映像作家、俳優だけでなく、配給会社の買い付け担当、弁護士、エージェント、マネージャーなど、ビジネス関係者が圧倒的に多いのが特徴である。特に90年代半ばから、ネクタイ・スーツ姿の携帯電話を持った観客が急増。第二・第三のタランティーノやロドリゲスと契約しにこの映画祭に現れ、ホテルロビーでは連日連夜、早朝まで買い付け担当や弁護士との会合が行われている[2]。 2007年9月下旬に2008年開催分の締め切りがあったが、応募総数が史上最高の8,000本を越えた。 開催年グランプリ(審査員大賞・ドラマ部門)
概要
歴代受賞作品
Grand Jury Prize: Dramatic観客賞(ドラマ部門)
Audience Award: Dramatic
1984年オールド・イナフ/としごろ(Marisa Silver監督)
1985年ブラッド・シンプル(コーエン兄弟監督)
1986年スムース・トーク(ジョイス・チョプラ監督)
1987年ディックの奇妙な日々(ゲイリー・ウォルコウ監督)& 月の出をまって(ジル・ゴッドミロー監督)
1988年ヒート・アンド・サンライト(ロブ・ニルソン監督)
1989年True Love(ナンシー・サヴォカ監督)セックスと嘘とビデオテープ(スティーヴン・ソダーバーグ監督)
1990年Chameleon Street(ウェルデル・B・ハリス・Jr監督)ロングタイム・コンパニオン(ノーマン・ルネ監督)
1991年ポイズン(トッド・ヘインズ監督)ワン・カップ・オブ・コーヒー(ロビン・B・アームストロング監督)
1992年イン・ザ・スープ 夢の降る街(アレクサンダー・ロックウェル監督)ウォーターダンス(ニール・ヒメネズ、マイケル・スタインバーグ監督)
1993年パブリック・アクセス(ブライアン・シンガー監督)エル・マリアッチ(ロバート・ロドリゲス監督)
1994年What Happened Was...(トム・ヌーナン監督)Spanking the Monkey(デヴィッド・O・ラッセル監督)
1995年マクマレン兄弟(エドワード・バーンズ監督)ピクチャーブライド(カヨ・マタノ・ハッタ監督)
1996年ウェルカム・ドールハウス(トッド・ソロンズ監督)この森で、天使はバスを降りた(リー・デヴィッド・ズロトフ監督)
1997年SUNDAY それぞれの黄昏(ジョナサン・ノシター監督)ハリケーン・クラブ
1998年スラム(マーク・レヴィン
1999年季節の中で(トニー・ブイ監督)季節の中で(トニー・ブイ監督)
2000年ガールファイト(カリン・クサマ監督)Two Family House(レイモンド・デ・フェリッタ監督)