サンタローザ
City of Santa Rosa
サンタローザ中心街の昔の役所広場
位置
カリフォルニア州におけるソノマ郡(左図)およびサンタローザの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度26分55秒 西経122度42分17秒 / 北緯38.44861度 西経122.70472度 / 38.44861; -122.70472
サンタローザ(英: Santa Rosa)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州北部ソノマ郡の都市。同郡の郡庁所在地である。人口は17万8127人(2020年)。カリフォルニア州のワインカントリーでは最大、かつサンフランシスコ・ベイエリアではサンノゼ、サンフランシスコ、オークランド、フリーモントに続く第5の都市である。 サンタローザとなった地域におけるヨーロッパ人の初めての恒久的な入植地は、法律的にはマリアーノ・グアダルーペ・ヴァレホのものとされるカリーリョ家の家産であり、ヴァレホはソノマ
歴史ペタルーマ・サンタローザ鉄道の元の駅舎サンタローザ中心街の鉄道広場地区にある歴史的建物
設立と発展
1850年代には現在サンタローザ中心街となっている場所にウェルズ・ファーゴの交易所と雑貨屋が建設された。1850年代半ば、マリア・カリーリョの息子であるフリオ・カリーリョなど土地の有力者数人が、サンタローザの格子状道路配置を決め、その中心に現在は昔の役所広場と呼ばれる公共の広場を置いた。この中心街の格子配置は現在でも大半が残っている。
1867年、ソノマ郡がサンタローザを法人化都市として承認し、翌1868年、カリフォルニア州が公式に法人化を確認してソノマ郡では3番目の都市になった。既にあった都市は1858年法人化のペタルーマ市、および1867年法人化のヒールスバーグ市だった。
アメリカ合衆国国勢調査局の記録に拠れば、1850年にカリフォルニア州が州に昇格した後、サンタローザは当初の1850年代や1860年代初期にはペタルーマ市の後塵を拝していたが、着実に成長を続けていた。1870年国勢調査で州内で8番目に人口の多い都市となり、最大級に人口の多い郡の郡庁所在地となった。その後の成長と発展は決して急速ではなかったが、着実なものだった。
その結果、他の人口の多い地域が衰退したり沈滞している中でも成長を続けたが、1900年までにはサンフランシスコ・ベイエリアや南カリフォルニアの新しい多くの人口中心に追いつかれあるいは追い越されていった。1905年、「列車の戦い」を報じる「プレス・デモクラット」の新聞記事に拠れば、サンタローザの人口はやっと1万人を超えたところだった。
1906年4月18日、サンフランシスコ地震が起こりサンタローザ中心街を実質的に破壊したが、人口そのものには大きな影響が無かった。しかしその後の期間もその付近の大半と同様に人口成長速度は大変遅かった。
1943年に有名な監督アルフレッド・ヒッチコックがスリラー映画『Shadow of a Doubt』をサンタローザで撮影した。この映画はビデオやDVDでも発売されており、1940年代のサンタローザを垣間見ることができる。映画に映っている中心街の建物の多くは、1969年9月の強い地震の後に建て替えられたのでもはや存在しない。しかし、でこぼこ石を使ったノースウェスタン・パシフィック鉄道駅舎や1910年に建設され金を被せた時計塔のあるエンパイア・ビルのように現在も残っているものがある。
第二次世界大戦後1910年に建設されたエンパイア・ビルはサンタローザのランドマークである。アルフレッド・ヒッチコック監督の映画スリラー映画『Shadow of a Doubt』にも登場した。
1945年に第二次世界大戦が終わり、その後の25年間、サンタローザは少なからぬ成長を遂げた。1950年と1970年の間で人口は67%増え、20年間以上にわたって平均して年1,000人が増えたことになった。人口増の要因は移民が入ってきたこともあるが、周辺地域を併合したこともあった。
1958年、アメリカ合衆国文民防衛動員局が8か所ある地域本部の一つにサンタローザを指定した。その第7地域の管轄範囲にはアメリカ領サモア、アリゾナ州、カリフォルニア州、グアム、ハワイ州、ネバダ州およびユタ州が含まれた。サンタローザは1972年まで文民防衛活動(緊急計画局および緊急準備局の管轄下)の主要中心であり続けたが、この年にアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁が創設されて文民防衛の69年間の歴史を終わらせた[2]。
1991年、市政委員会がサンタローザでは初めての総合計画を採択した。この時の人口は約113,000人だった。1970年からの21年間で毎年約3,000人が増えており、その前の20年間と比べると平均して3倍の伸び率だった。
この総合計画は「サンタローザ2010」と呼ばれ、2010年の人口を175,000人とすることが盛られた。市政委員会は将来に併合を計画するところまで市の境界を拡げ、サンタローザの「究極の」境界であることを宣言した。都市スプロール現象を生むとして批判された急速な成長はお決まりのインフィル開発(既存部分の開発)になっていった。
5年を経過した1996年に市政委員会は総合計画の見直しを行い計画期間を10年延長し、計画名も「ビジョン2020」に変更し(その後「サンタローザ2020」さらには「サンタローザ2030」に変更された)、さらに土地面積や人口の数値を追加した。現在の市の計画は2020年時点で人口195,000人となっている。
2017年10月、カリフォルニア州各地で発生した山林火災は、サンタローザ一帯も襲い、カリフォルニアワインの醸造所を始め多くの被害を出した[3]。 地元の歴史家で「プレス・デモクラット」紙のコラムニスト、ゲイ・ルバロンは、「サンタローザ:19世紀の町」と「サンタローザ:20世紀の町」の2冊の歴史書を著した。ローナート公園にあるソノマ州立大学図書館はゲイ・ルバロンの蔵書である700冊の研究ノートのファイル、および10,000冊ほどの文献を含む一次史料を保管している。 サンタローザは北緯38度26分55秒 西経122度42分17秒 / 北緯38.44861度 西経122.70472度 / 38.44861; -122.70472 サンタローザ市は、ソノマ、ヒールスバーグおよびセバストーポル
歴史に関する史料
地理