サンタクラリタ
City of Santa Clarita
サンタクラリタ中心街の噴水
旗章
位置
カリフォルニア州におけるロサンゼルス郡(左図)およびサンタクラリタの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度25分00秒 西経118度30分23秒 / 北緯34.41667度 西経118.50639度 / 34.41667; -118.50639
サンタクラリタ(英: Santa Clarita)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州南部ロサンゼルス郡の都市である。人口は22万8673人(2020年)。ロサンゼルス市中心街から56 km北西にあり、サンタクラリタ・バレーの大半を占めている。アメリカ合衆国における周辺都市あるいはブーム郊外都市の代表例である。連邦捜査局は、アメリカの人口10万人以上の都市の中で、サンタクラリタは6番目に安全な都市と評価した(隣接するベンチュラ郡のシミバレー市とサウザンドオークス市はこのランキングで伝統的に入れ替わり1位と2位になっている)。雑誌「マネー」の2006年版では「アメリカの住みたい都市100傑」の18位に位置付けた[2]。
サンタクラリタは、1987年にキャニオンカントリー、ニューホール、ソーガスおよびバレンシアなど幾つかの地域社会が合併することで、市制を布いた。これら地域社会は全て以前のランチョ・サンフランシスコの土地である。主要な市境はゴールデンステイト・フリーウェイ(州間高速道路5号線)とアンテロープバレー・フリーウェイ(州道14号線)であり、市の南端にあるニューホール峠でこの2本の道路が交わるところは、地図の上で特徴ある三角形を作っている。
サンタクラリタの最も著名な呼び物は、市域のすぐ外側、ロサンゼルス郡の未編入領域にあるシックスフラッグ・マジックマウンテン・アミューズメントパーク、およびバレンシアにあるカリフォルニア芸術大学である。 サンタクラリタは1987年に市制を布いたばかりの都市であるが、その歴史は西暦450年にタタビアム族インディアンが到着したときまで遡ることができる。タタビアム族の全盛期には人口約2,000人に達していた。 1842年、サクラメント地域で金の発見が報道された時よりも6年前、フランシスコ・ロペスがカリフォルニアで最初の記録に残る金を発見していた(その書類は同年、フアン・B・アルバラド知事が署名した鉱業権申請書だった)。この金が発見されたのは ⇒プラスリタ・キャニオンであり、そこは後にハリウッドの当初撮影場所として使われた。 ニューホールの地域社会は、カリフォルニア・ゴールドラッシュの間に、サンフランシスコで大いに成功したオークション会場を経営するH・M・ニューホール会社を起ち上げて最初の資産を掴んだ事業家ヘンリー・ニューホール[3]に因んで名付けられたものだった。ニューホールの次の収益源は鉄道だった。サンフランシスコと他の都市を繋ぐ鉄道に投資し、サンフランシスコ・サンノゼ鉄道の社長になった。1870年、ニューホールとその共同経営者はサザン・パシフィック鉄道に会社を売却し、ニューホール自身はその役員会に入った。ニューホールは鉄道に続いて不動産と牧畜に目を転じた。州内で昔スペインやメキシコが発行していた土地特許を多く買い取り、モントレー郡とロサンゼルス郡で総面積は143,000エーカー (579 km2) になった。その中でも重要な部分はロサンゼルス郡北部にある広さ46,460エーカー (188 km2) のランチョ・サンフランシスコであり、これを1エーカー当たり2ドルで購入し、ニューホールの死後はニューホール牧場と呼ばれるようになった。この領地内で現在はニューホール峠と呼ばれる所を通すサザン・パシフィック鉄道の通行権を認め、サザン・パシフィック鉄道に土地の一部も売ったので、この会社は町を建設し、ニューホールと名付けた。この鉄道線に初めてできた駅にはニューホールの出身地マサチューセッツ州ソーガスに因んでその名前を付けた。ニューホールの死後、その相続人はニューホール土地農業会社を設立しサンタクラリタ市を作り上げている地域社会の発展を監督した。 1876年9月26日、チャールズ・アレクサンダー・メントリーがメントリービルで州内初の油井を掘り、カリフォルニア石油産業を興した。原油はニューホールの製油所に運ばれた。そこは世界でも最古の現存する製油所となっている(操業は1874年から1888年)。 その少し前にあたる9月5日、チャールズ・クロッカーとリーランド・スタンフォードがキャニオンカントリーでそれぞれの鉄道を結合し、ロサンゼルスと国内の他所を初めて鉄道で繋いだ。 ソーガスのサンフェルナンド道路沿いにあるソーガス・カフェは1887年に開店した[4]。ロサンゼルス郡でも最古の現在でも営業しているレストランということになっている[5]。 20世紀に入ってから間もない頃、ウィリアム・S・ハート、トム・ミックス、ハリー・ケリーおよび若き日のジョン・ウェインなど紳士録に載るような俳優達と共にサンタクラリタの映画産業が始まった。ハートとケリーはサンタクラリタ・バレーに自家を造り、どちらも今日では郡公園として運営されている。 1928年3月12日夜、ウィリアム・マルホランドのセントフランシス・ダム サンタクラリタは北緯34度25分00秒 西経118度30分23秒 / 北緯34.41667度 西経118.50639度 / 34.41667; -118.50639
歴史
地理
サンタクラリタはサンフェルナンド断層帯に近く、シルマー地震とも呼ばれる1971年サンフェルナンド地震の影響を受けた。また1994年ノースリッジ地震の影響もあり、多くの商業ビルや住宅が崩壊した。地震の影響は近くのニューホール峠、バレンシア・モール、シックスフラッグ・マジックマウンテンにも及んだ。マジックマウンテンにあり歴史ある38階建てスカイタワーは片振幅6フィート (180 cm) も揺れたが、被害は少なかった。
山火事サンタクラリタ近くの山火事
サンタクラリタは国内でも山火事が多い所として知られている。最近の例では、2001年のステーブルズ、2002年のカッパーとブーケ、2003年のシミとバーデイル、2004年のフットヒル、2007年のバックウィード、ランチ、マジックおよび2008年のセイアーと呼ばれる山火事が有った。 サンタクラリタは南カリフォルニア内陸部の多くと同様、一年間の大半を通じて暖かく乾燥しており、雨は大変少なく、夏は暑く乾燥する。灌木で覆われる乾燥した丘陵が特徴であり、晩夏と早秋は「火災シーズン」と言われることも多い。暑い季節は7月から9月であるが、10月初旬に100°F (38℃) に達することも希ではない。冬は温暖であり、晴れた夜に氷点下まで気温が落ちることがある程度である。降雨は12月から2月が多い。降雪は2006年3月以降は無い。この時には標高約1,500フィート (450 m) あたりに、一日中にわか雪や霙が降った。 サンタクラリタの住民はその気候を「焼き付くような夏、温暖な冬、少しのジューングルーム(6月頃の厚い雲)」と言っている。
気候