サンサポールの戦い
[Wikipedia|▼Menu]

サンサポールの戦い

サンサポールに向かう戦車揚陸艦と歩兵揚陸艇の一団
戦争:太平洋戦争
年月日:1944年7月30日 - 8月31日
場所:ドベライ半島サンサポール岬およびマル、アムステルダム島、ミッテルバーグ島
結果:連合軍の勝利
連合軍による、ニューギニア島北岸の主要航空要地の確保が完了
交戦勢力
大日本帝国 アメリカ合衆国
指導者・指揮官
阿南惟幾
豊嶋房太郎
池田浚吉ウィリアム・フェクテラー
フランクリン・C・サイバート
損害
戦死約380戦死10 or 34
戦病死9
負傷31 or 85
ニューギニアの戦い


珊瑚海

ポートモレスビー

ラビ

ビスマルク海

カートホイール作戦

ラエ・サラモア

サラワケット越え

フィンシュハーフェン

ニューブリテン

アドミラルティ諸島

エミラウ

ホーランジア

竹一船団

サルミ・ワクデ

ビアク

渾作戦

ヌンホル

サンサポール

アイタペ

モロタイ

表示

サンサポールの戦いとは、太平洋戦争での戦闘の一つであり、ニューギニアの戦いのうちニューギニア島そのもので行われた戦闘の中では最後の戦いに位置する。連合軍はニューギニア島西部ドベライ半島(フォーゲルコップ半島)北西部に位置するサンサポール(サンサポール岬)(英語版)と、その対岸にある2つの島にある航空基地適地の確保を目指して上陸したが、所在の日本軍兵力が微少だったこともあって、大きな戦闘が起こることなく航空基地適地の確保に成功。ダグラス・マッカーサー陸軍大将率いる南西太平洋軍はわずか3か月もの間に、ニューギニア島北岸ホーランジアからサンサポールまでの間を飛び飛びながら進撃し、主だった航空要地を確保することに成功した。

連合軍側の作戦名称は「グローブトロッター作戦」 (Operation Globetrotter) である[1]目次

1 背景

2 戦闘経過

2.1 準備

2.2 上陸戦


3 上陸後

4 脚注

5 参考文献

5.1 サイト

5.2 印刷物


6 関連項目

背景

1944年4月下旬のホーランジアの戦い以降、マッカーサーの南西太平洋軍は5月のワクデの戦い(英語版)、6月のビアク島の戦いおよび7月からのヌンホルの戦い(英語版)で次々と航空基地および航空基地適地を奪取してきたが、ヘルビング湾と将来進攻予定のハルマヘラ島およびモロタイ島を中心とする北モルッカまでの間の適当な地にも航空基地を設置する必要性が生じてきた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef