サロメ
Salome
オーブリー・ビアズリーによるイラストレーション(1894年)
作者オスカー・ワイルド
国 フランス
言語フランス語
ジャンル戯曲
幕数1幕
初出情報
初出1891年
刊本情報
刊行1893年
初演情報
公演名リューニュ・ ポエ一座公演
場所ルーブル座
初演公開日1896年
日本語訳
訳者森?外、日夏耿之介
ポータル 文学 ポータル 舞台芸術
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『サロメ』(Salome)は、オスカー・ワイルドの戯曲。新約聖書を元にした内容。1891年にフランス語で書かれ、1893年にパリで出版された。1894年に出版された英訳版ではオーブリー・ビアズリーの挿画が使用されている[1]。英訳したのはワイルドの同性の恋人だったアルフレッド・ダグラスであるが、出来が悪く、ワイルド本人が翻訳を修正している[1]。内容の背徳性から禁止令が出て、イギリスでは1931年まで上演できなかった[2]。
女優サラ・ベルナールのために書かれたと噂されるが、ワイルド自身はこれを否定している[2]。
日本で最初にこの戯曲でサロメ役を演じたのは松井須磨子である。1913年(大正2年)12月、島村抱月の芸術座による帝国劇場での上演だった。1960年(昭和35年)4月と、1971年(昭和46年)2月には、三島由紀夫の演出(1971年 は三島の死により和久田誠男の演出補)で上演されている[3]。
あらすじを殺し妃を奪い今の座に就いた。妃の娘である王女サロメに魅せられて、いやらしい目を彼女に向ける。その視線に堪えられなくなったサロメは、宴の席をはずれて、預言者ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)が閉じ込められている井戸に向かう。預言者は不吉な言葉を喚き散らして、妃から嫌がられている。預言者との接触は王により禁じられているのだが、サロメは色仕掛けで見張り番であるシリアの青年に禁を破らせて、預言者を見てしまう。そして彼に恋をするのだが、預言者のほうは彼女の忌まわしい生い立ちをなじるばかりである。愛を拒まれたサロメはヨカナーンに口づけすると誓う。
エロドはサロメにしつこくダンスをしろと要求し、何でも好きなものをほうびにとらせると約束する。サロメはこれに応じて7つのヴェールの踊りを踊り、返礼としてエロドにヨカナーンの首を所望する。預言者の力を恐れて断るエロドだが、サロメは聞き入れない。あきらめたエロドはヨカナーンの首をサロメにとらせる。銀の皿にのって運ばれてきたヨカナーンの唇にサロメが口づけし、恋を語る。これを見たエロドはサロメを殺させる。 『サロメ』を初めて日本語に翻訳したのは森?外で、以後21世紀に至るまで日夏耿之介や佐々木直次郎、楠山正雄や若月紫蘭、そして内藤濯ら多くの翻訳者により日本語訳が出版された。福田恆存訳(岩波文庫)、西村孝次訳(新潮文庫)が著名。新訳版は平野啓一郎訳(光文社古典新訳文庫)。日夏耿之介訳は「院曲サロメ」で新版刊行。
日本語訳
福田恆存 訳『サロメ』岩波書店〈岩波文庫〉、改版2000年。
西村孝次 訳『サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇』新潮社〈新潮文庫〉、改版2005年。
平野啓一郎 訳『サロメ』光文社〈光文社古典新訳文庫〉、2012年。
日夏耿之介 訳『院曲 サロメ』沖積舎、2004年。
旧訳版の題名は『院曲撒羅米』(蘭台山房、1938年/東出版、1977年)
参考書籍
井村君江『「サロメ」の変容』(新書館、1990年)…『サロメ』がどのように受容されてきたかを分析した。三島由紀夫が岸田今日子を主演に演出したときのことが、書かれている。当時の関係者(三島、岸田を含む)の座談会付き。芥川龍之介の未発表原稿に『サロメ』をアレンジした作品があった事も記す。
井村君江『サロメ図像学』(あんず堂、2003年)… 続編でモローやクリムト他250点余の図像を読み解いた。
工藤庸子『サロメ誕生 フローベール/ワイルド』(新書館、2001年)…オリエンタリズムの見地からの作品論と、併せてフローベール『ヘロディア』、『サロメ』の新訳を収録。
日本での上演
芸術座公演
1913年(大正2年)12月 帝国劇場
演出:島村抱月
出演:松井須磨子
文学座第81回公演
1960年(昭和35年)4月5日-16日 東京・東横ホール
4月25日 名古屋・愛知県文化会館、4月26日-28日、大阪・毎日ホール、4月29日 京都・弥栄会館、5月11日 静岡・静岡市公会堂
翻訳:日夏耿之介。演出:三島由紀夫。装置:藤野一友