サルヴァトーレ・アンティボ
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獲得メダル
イタリア
陸上競技
オリンピック
1988 ソウル男子 10000 m
ヨーロッパ陸上競技選手権大会
銅1986 シュトゥットガルト男子 10000m
金1990 スプリト男子 10000m
金1990 スプリト男子 5000 m

サルヴァトーレ・アンティボ(Salvatore Antibo、1962年2月7日 - )は、イタリアの陸上競技選手。1988年ソウルオリンピックの銀メダリストである。シチリア島パレルモ県アルトフォンテ出身。
目次

1 経歴

2 自己ベスト

3 主な実績

4 脚注

5 外部リンク

経歴

アンティボは、トラックの長距離種目を得意としたランナーで、ロサンゼルスオリンピックの10000mでは5位でゴール。しかし、この種目は同じイタリアのアルベルト・コバが金メダルを獲得したため、アンティボの活躍はコバに隠れてしまった。なお、この種目では当初2位でゴールしたフィンランドのマルッティ・バイニオが薬物違反で失格となった[1]ため、アンティボは4位に繰り上がった。3位のケニアのマイケル・ムスヨキとはわずか100分の4秒差で銅メダルを逃すこととなった。

アンティボは、2年後のヨーロッパ陸上競技選手権大会の10000mでは28分00秒25で、ステファノ・メイ、コバとともにイタリアが表彰台を独占したものの3位となった。

1988年ソウルオリンピックでも10000mに出場。世界記録に迫るハイペースでモロッコブラヒム・ブタイブが先頭を独走する中、アンティボはケニアのキプケンボイ・キメリと2位グループを形成。ラスト100mとなったところでアンティボがキメリを突き放し27分23秒55で銀メダルを獲得した。

1990年のヨーロッパ選手権では、5000m、10000mの2冠に輝く。10000mは自ら先頭を引っ張っていくレース。5000mでは最後の直線のスプリントで勝利するといった異なる戦いで勝利を収めた。

1991年の東京で行われた世界選手権では10000mに出場。優勝候補の一人と見られていた。アンティボはレース序盤からペースを変えたり積極的なレースを見せた。しかし、ケニアの選手がペースをあげると、すぐに先頭争いから脱落していった。実は、アンティボはレースの途中にてんかんの症状が出ていたということが後に明らかになった。

アンティボは、1992年バルセロナオリンピックの10000mでもメダルまであと一歩となる4位となっている。
自己ベスト

5000m - 13分05秒59 (1990年)

10000m - 27分16秒50 (1989年)

主な実績

年大会場所種目結果記録
1982
ヨーロッパ陸上競技選手権大会アテネ(ギリシャ)10000m6位28分21秒07
1983世界選手権ヘルシンキ(フィンランド)5000m13位13分40秒76
1984オリンピックロサンゼルス(アメリカ合衆国)10000m4位28分06秒50
1986ヨーロッパ陸上競技選手権大会シュトゥットガルト(西ドイツ)10000m3位28分00秒25
1987世界選手権ローマ(イタリア)5000m- (q)DNS
1987世界選手権ローマ(イタリア)10000m16位28分33秒77
1988オリンピックソウル(韓国)10000m2位27分23秒55
1990ヨーロッパ陸上競技選手権大会スプリト(ユーゴスラビア)5000m1位13分22秒00
1990ヨーロッパ陸上競技選手権大会スプリト(ユーゴスラビア)10000m1位27分41秒27
1991世界選手権東京(日本)10000m20位28分52秒41
1992オリンピックバルセロナ(スペイン)10000m4位28分11秒39


qは予選

脚注^ 日刊スポーツ. “元陸上選手が自伝でドーピングを告白”. 2013年11月10日閲覧。

外部リンク

サルヴァトーレ・アンティボ
- 国際陸上競技連盟のプロフィール(英語)

サルヴァトーレ・アンティボ - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(Sports Reference)(英語)

Athlete profile Salvatore Antibo


更新日時:2018年8月25日(土)08:12
取得日時:2019/07/22 19:24


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