サルペードーン
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エウフロニオスの紀元前515年頃の作品『エウフロニオスのクラテール(英語版)』(別名『サルペードーンのクラテール』)。ヒュプノスとタナトスに運ばれるサルペードーンが描かれている。ヴィラ・ジュリア国立博物館所蔵。

サルペードーン(古希: Σαρπ?δων, Sarp?d?n)は、ギリシア神話の人物で、小アジアリュキア地方の王である。長母音を省略してサルペドンとも表記される。

ポイニーケーアゲーノールの娘エウローペーゼウスの子で、ミーノースラダマンテュスと兄弟[1][2][3][4][5][6]ホメーロス叙事詩『イーリアス』では、ベレロポーンの娘ラーオダメイアとゼウスの子[7]。クレタのディクテュスはラーオダメイアとクサントスの子としている[8]トロイア戦争ではグラウコスとともにリュキア勢を率いてトロイアを救援し、ギリシア軍と戦った[9][10][11][12]
神話
ミーノースとの対立

サルペードーンは他の兄弟とともにクレーテー島の王アステリオスに育てられたが、成長すると美少年ミーレートス(あるいはアテュムニオス)をめぐって兄弟のミーノースと争った。しかしミーノースはミーレートスがサルペードーンを慕っていたため、戦争を起してサルペードーンをクレーテー島から追い払った。サルペードーンは多くの者を率いて小アジアキリキアに赴いた。そのころキリキアの王キリクスはリュキア人と戦っており、サルペードーンはリュキアの一部を分けてもらうという条件でキリクスの味方をして戦った。その後、約束通りキリクスから土地をもらってリュキアの王となった彼にゼウスは人間の3世代分の寿命を与えた。またミーレートスも小アジアに赴き、都市ミーレートスを建設した[13]

その後、サルペードーンのもとにパンディーオーンの子リュコスが亡命し、それまでテルミライ呼ばれていた人々はリュコスにちなんでリュキア人と呼ばれるようになったという[14]
トロイア戦争ヨハン・ハインリヒ・フュースリーの1803年の絵画『サルペドンをリキュアに運ぶ死と眠り』。

トロイア戦争が起こるとサルペードーンはトロイアの味方をして戦った。ギリシア軍はサルペードーンに協力を得ようとしたが、それより先にプリアモスは莫大な報酬によってサルペードーンを味方にしたともいわれる[15]

イーリアス』初日、サルペードーンはロドス島の武将トレーポレモスと戦い、左太腿に深手を負いながらもトレーポレモスを倒した。トロイア軍がギリシア軍の防壁を攻撃したさいには同盟軍を指揮し、グラウコスとアステロパイオスを副将とした。サルペードーンはアテーナイの武将メネステウスが守備する場所に攻撃を仕掛け、脅威を感じたメネステウスは大アイアースに助けを求めた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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