Sarrebourg
行政
国 フランス
地域圏 (Region)グラン・テスト地域圏
県 (departement)モゼル県
郡 (arrondissement)サールブール=シャトー=サラン郡
小郡 (canton)サールブール小郡
INSEEコード57630
郵便番号57400
市長(任期)アラン・マルティ
(2014年-2020年)
自治体間連合 (fr
サールブール (フランス語:Sarrebourg)は、フランス、グラン・テスト地域圏モゼル県のコミューン。ドイツ語名はザールブルク(Saarburg)。 モゼル県南部、ザール川に面する都市で、重要なフランス軍駐屯地がある。フランス国鉄のパリ=ストラスブール間、メス=ストラスブール間、ナンシー=バーゼル間といった重要な路線が通過する。 サールブールの歴史は、紀元前8世紀頃ザール川付近に定住した謎の民族から始まる。紀元20年頃Pons Saravilsと名づけられた町は、ローマ街道に面した重要な場所だった。 紀元235年頃、アレマンニ族とフランク族が侵入し、ほぼ完全にこの町を破壊しつくした。その後フランク族が定住地を再建した。962年、メス司教が、メスの通貨鋳造をサールブールに許可した。 12世紀から15世紀のサールブールはメス司教の所有となり、アルザスのキリスト教化中心地となった。1476年にはブルゴーニュ公軍に包囲されたが、ロレーヌ公ルネ2世によって解放された。三十年戦争の戦場となったサールブールは、劇的なまでに人口が減少した。ルイ14世の対外政策によって、神聖ローマ帝国に属していたロレーヌ公国はフランス王国領となった。 1851年、パリ=ストラスブール間の鉄道開通により、サールブールにも鉄道が敷かれた。普仏戦争後のフランクフルト条約で、サールブールはドイツ帝国領となった。第一次世界大戦初期のサールブールは、フランス軍の最初の攻撃目標となり、両軍とも数千名の死者を出した。第二次世界大戦中は、マジノ線に駐屯する軍の基地が置かれた。 2016年時点のコミューン人口は11987人で[1]、2011年時点の人口より3.32%減少した。 1962年1968年1975年1982年1990年1999年2006年2016年 参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]
目次
1 地理
2 歴史
3 人口統計
4 姉妹都市
5 脚注
6 外部リンク
地理
歴史
人口統計
1108011423126151269913311133301272211987
姉妹都市
ザールブルク、ドイツ
脚注^ Population municipale legale en vigueur au 1er janvier 2019, millesimee 2016, definie dans les limites territoriales en vigueur au 1er janvier 2018, date de reference statistique : 1er janvier 2016.
^ ⇒http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=35385
^ https://www.insee.fr/fr/statistiques/3293086?geo=COM-57630
^ ⇒http://www.insee.fr
外部リンク
⇒コミューンの公式サイト