この項目では、ブラジルの都市について説明しています。その他の用法については「サルヴァドール (曖昧さ回避)」をご覧ください。
市旗市章
愛称 : "Capital da Alegria"(歓喜の都),"Roma Negra"(黒人のローマ)
位置
サルヴァドール市の位置(バイーア州)
位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯12度58分29.03秒 西経38度28分36.6秒 / 南緯12.9747306度 西経38.476833度 / -12.9747306; -38.476833
サルヴァドール(Salvador [sawva?do?])は、ブラジル北東部の大西洋岸にある港湾都市。同国バイーア州の州都である。なお一般的には、サルヴァドールよりもバイーア(Bahia [b??i?] ( 音声ファイル))と呼ばれる方が多い。大西洋に面し、「諸聖人の湾」を取り囲む半島に位置している。主要な輸出港であるとともに、この湾周辺のReconcavo Baiano大都市圏の中心でもある。2016年7月1日での市域人口は約294万人でサンパウロ、リオデジャネイロ、ブラジリアに次ぐ同国第4位の人口規模を有している。 サルヴァドールの正式名称はサン・サウヴァドール・ダ・バイーア・ジ(デ)・トードス・オス・サントスで、「諸聖人の湾の、聖なる救世主」という意味である。諸聖人の日(万聖節)に発見されたことから、そう名付けられた。サルヴァドール自体はポルトガル語で救世主(=キリスト)を意味する。 なお、「湾」を意味するバイーアは、本来ポルトガル語のスペルはBaia と表記されるが、昔から地名としては h を加えてBahiaと表記することが一般的とされてきた(どちらのスペルでも発音は変わらないが、表記が異なる理由は不明といわれる)。 また、サルヴァドールという同名のブラジルの都市と区別するために、サルヴァドール・ダ・バイーア(バイーア州のサルヴァドール)と地図などに書かれることもある。また現地を中心にブラジルではサルヴァドールよりも、バイーアという名称が古くより一般的に呼称されており定着している。1719年に書かれたロビンソン・クルーソーにも、この名前で登場する。このためバイーア出身の女性はBaiana(バイアーナ)、男性はBaiano(バイアーノ)という。ただし、バイーアの若い男性はioio, 若い女性はiaia(イオイオ・イアイア、より発音に近い表記はイョィヨー、イャィヤー)と呼ばれることもある。 「諸聖人の湾」が初めてヨーロッパ人によって発見されたのは1502年だが、サルヴァドールが建設されるのは1549年、初代ブラジル総督トメ・ヂ・ソウサ率いるポルトガル人入植者の到着を待たねばならなかった。その後急速にブラジルの主要貿易港として発展し、砂糖産業と奴隷貿易の中心地であったポルトガル領ブラジルの最初の首都となった[1]。1552年にはブラジルで初めてカトリックの司教座となり、以後ブラジルのカトリック教会の中心地のひとつでありつづけている。1583年に人口1,600人に達した後も急速な成長を続け、北米でアメリカ独立戦争が起こった1776年の段階では、新世界で最大の都市のひとつになっていた。 当時サルヴァドールはポルトガル副王国グラン・パラ、およびバイーア・デ・トードス・オス・サントス県の首都であった。1624年5月オランダがサルヴァドールを攻略、翌1625年4月にポルトガルが奪還するまで、他の北東部の港と同様に占領を続けた。 1763年、その当時新たな経済の中心地となったリオデジャネイロへと植民地ブラジルの首都が移転したが[2]、サルヴァドールはブラジル独立運動の拠点となり、1812年にはポルトガルによる攻撃を受けている。そして1823年7月2日には独立を達成した。その後ブラジルの工業化の流れに取り残されたため、150年にわたり斜陽の一途を辿っていた。この間1948年に人口は34万人、1991年には人口は208万人を記録している。 1832年2月29日、ダーウィンの乗ったイギリス軍艦ビーグル号が到着した[3]。
概要
歴史