サルゴン2世
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サルゴン2世
アッカド語: ?arru-k?n / ?arru-uk?n
サルゴン2世を描いたアラバスター製の浅浮彫。ドゥル・シャルキンのサルゴン2世の宮殿から発見された。イラク国立博物館にて展示されている。
在位前722年-前705年

死去紀元前705年
タバル(英語版)
配偶者ライマ(Ra'?ma)
 アタリア(Atalia)
子女センナケリブ
他に少なくとも4人の息子
アハト・アビシャ(Ahat-abisha)
王朝サルゴン王朝
父親ティグラト・ピレセル3世
母親イアバ(ドイツ語版)
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サルゴン2世(アッカド語: ?arru-k?n、英語: Sargon II、在位:前722年-前705年)は、古代メソポタミア地方の新アッシリア帝国の王である。前王シャルマネセル5世の直系ではなく、王位簒奪者の可能性が高い。旧約聖書に登場する北イスラエル王国を滅ぼしたことで有名。ウラルトゥ遠征やバビロニア遠征など、積極的に活動した。新首都「ドゥル・シャルキン」を建設したが、完成前にアナトリアで戦死した。サルゴンのアッカド語での「?arru-k?n」であり、恐らく「真の王[1] 」または「正統なる王[2]」を意味する。
概要

サルゴン2世は自身がティグラト・ピレセル3世(在位:前745年-前727年)の息子であると主張しているが、これは不確かであり、恐らく彼はシャルマネセル5世から王位を簒奪した。サルゴン2世は、アッシリアの滅亡に至るまで1世紀近く新アッシリア帝国を統治することとなるサルゴン王朝の創始者と見られており、新アッシリア時代の最も重要な王の1人である。

サルゴン2世は恐らく2,000年近く前にアッカド帝国を建設しメソポタミアの大部分を支配した伝説的君主サルゴンから名前を取り、世界を征服することを目指した軍事遠征によって古代の同名の王の足跡を辿ることを切望した。サルゴン2世は敬虔さ、正義、活動力、治世、そして強さのイメージを自分に持たせようとした。そして数多くの軍事的業績によって偉大な征服者、戦術家として認められている。

彼の遠征の中でも最大級のものは、アッシリアの北の隣国ウラルトゥに対する前714年の遠征と、前710年から前709年のバビロンの再征服である。バビロンはシャルマネセル5世の死に際して、独立した王国を再構築することに成功していた。ウラルトゥに対する戦争において、サルゴン2世はアッシリアとウラルトゥの国境沿いの長いルートを進むことでウラルトゥの要塞線を回避し、ウラルトゥの最も神聖な都市ムサシル(英語版)を占領・略奪することに成功した。バビロニアへの遠征においても、サルゴン2世はまずはティグリス川に沿って前進し、その後、北方ではなく南東からバビロニアを攻撃するという、予想外の攻撃を仕掛けた。

前713年から治世の終わりまで、サルゴン2世はアッシリア帝国の新たな首都とすべく、新都市ドゥル・シャルキン(「サルゴンの要塞」の意)の建設に着手した。バビロニアを征服した後、王太子センナケリブ(シン・アヘ・エリバ)をアッシリア本国の摂政とし、彼自身はバビロンに3年間滞在したが、前706年には、ほぼ完成したドゥル・シャルキンへと遷った。前705年、タバル(英語版)においてサルゴン2世が戦死しその遺体が敵に奪われると、アッシリア人たちはこれを災厄の前兆と見なし、後継者センナケリブは王位に就くとただちにドゥル・シャルキンを放棄し、首都をニネヴェ市に遷した。
年表

年(紀元前)在位年数出来事
722年1サルゴン2世、就位。サマリア陥落(北イスラエルの滅亡)。
720年3ハマトを攻め落とす。カルカルの戦い。エラムとの戦い。
717年6カルケミシュを征服
716年7マンナエを攻撃
714年9
ウラルトゥ遠征
713年10ドゥル・シャルキンの建設開始
711年12アシュドドを征服
710-709年13-14バビロン征服
707年16アッシリア傘下のティルスが、キュプロス島の一部を征服
706年17ドゥル・シャルキンへ遷都
705年18アナトリアの小国タバルとの戦争中に戦死

出自サルゴン2世の父親とされるティグラト・ピレセル3世が打ち倒した敵の上に立っている姿を描いたカルフで発見された浅浮彫大英博物館収蔵。

サルゴン2世の治世はティグラト・ピレセル3世(在位:前745年-前727年)とシャルマネセル5世(在位:前727年-前722年)という2人の王に続いている。前18世紀からティグラト・ピレセル3世が前745年に王となるまで、アダシの王朝によるアッシリアの統治はおよそ1,000年にも及んでいた。


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