この項目では、化学兵器について説明しています。その他の用法については「サリン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
2-(Fluoro-methylphosphoryl)oxypropane
別称O-isopropyl methylphosphonofluoridate, Isopropyl, GB methylphosphonofluoridate
GB[2]
識別情報
CAS登録番号107-44-8
-56 °C, 217 K, -69 °F
沸点
158 °C, 431 K, 316 °F
水への溶解度混和性
危険性
EU分類特に毒性が高い (T+), 腐食性 (C), 火傷
NFPA 704042
特記なき場合、データは常温 (25 °C)・常圧 (100 kPa) におけるものである。
サリン(ドイツ語: Sarin)は、有機リン化合物で神経ガスの一種[3]。別称はGB[4]、イソプロピルメチルフルオロホスホネートやメチルフルオロホスフィン酸イソプロピル[5]。 化学兵器としてのサリンは、1938年にナチス・ドイツで開発された[6][7]。「サリン」の名称は、ナチスでサリン開発に携わったシュラーダー (Gerhard Schrader)、アンブローズ(Otto Ambros)、リッター (Gerhard Ritter)、フォン・デア・リンデ (Hans-Jurgen von der Linde) の名前から取られた[8]。ただし、サリンの化学式自体は、すでに1902年に公表されていた[7]。 第二次世界大戦中のドイツにおける生産量は約1,000ポンド (450 kg)と推測されている[7]。第二次世界大戦末期、アドルフ・ヒトラーの側近でナチス・ドイツの宣伝大臣であったヨーゼフ・ゲッベルスは、化学兵器を実戦に投入することを主張した[7]。しかし、第一次世界大戦で毒ガスによって視神経や脳神経に一過性の障害を負い喉や眼を負傷したという経験を持つヒトラーは毒ガス使用には消極的であり[7]、またドイツ国防軍も化学兵器による攻撃は、連合国軍が神経ガスを保有しており、それを用いた報復ガス攻撃を招くと考えていた[7]。そのため、ドイツ国防軍がサリンを戦争に使用することはなかった[7]。サリンやタブン等の詳細な情報は、第二次世界大戦におけるドイツの敗北により、連合国側も把握するところとなった[7]。オネスト・ジョンの弾頭の内部を見えるようにしたもの。
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