サラ・ドゥテルテ
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フィリピン政治家サラ・ドゥテルテSara Duterte
2018年撮影
生年月日 (1978-05-31) 1978年5月31日(45歳)
出生地 フィリピン
ダバオ・デル・スル州ダバオ
出身校サン・ペドロ大学(英語版)
サン・ベダ大学(英語版)
サン・セバスティアン大学リコレトス(英語版)
前職ダパオ市長
現職フィリピンの副大統領
所属政党変革のための同盟(2018年 - 現在)
ラカスCMD(2021年 - 現在)
配偶者マナセ・カルピオ (m. 2007)
親族ロドリゴ・ドゥテルテ
サイン
ダバオ市長
在任期間2010年6月30日 - 2013年6月30日
2016年6月30日 - 2022年6月30日
大統領ベニグノ・アキノ3世
ロドリゴ・ドゥテルテ
ダバオ副市長
在任期間2007年6月30日 - 2010年6月30日
大統領グロリア・マカパガル・アロヨ
フィリピン共和国
第15代副大統領
在任期間2022年6月30日 -
大統領ボンボン・マルコス
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サラ・ジマーマン・ドゥテルテ=カルピオ(Sara Zimmerman Duterte-Carpio、旧名: サラ・ビセンタ・ジマーマン・ドゥテルテ(Sara Vicenta Zimmerman Duterte)、1978年5月31日 - )は、フィリピン弁護士政治家である。ダバオ市長を務めていた。現在は同国第15代副大統領を務めている。実父はロドリゴ・ドゥテルテ第16代大統領
経歴・人物

1978年5月31日ミンダナオ島ダバオにて当時検察官だったロドリゴ・ドゥテルテ客室乗務員のエリザベス・ジマーマン(英語版)の元、長女(第二子)として生まれる[1]。父方から中国系[2]、母方からユダヤ系の血を引いている[3][4]

元々は小児科医を志望しており、ダバオのサン・ペドロ大学(タガログ語版)で学ぶ[5]。その後、2005年にサン・セバスティアン大学(タガログ語版)にて法学を学び、2005年に卒業[6]。2006年にはフィリピン共和国の司法試験に合格し、法曹資格を得る[6]

2007年にダバオ市長を務めていた父ロドリゴの下で副市長に就任[1][7]。2010年のダバオ市長選挙に勝利し、女性初の市長に就任[7]。2013年の市長選には父が再登板し、自身は下院議員に立候補してほしいと願う父の依頼を断り、一旦政界から降りた。2016年にダバオ市長に再登板し、実弟のセバスチャン・ジマーマン・ドゥテルテ(英語版)を副市長に任命し、同年6月20日に揃って就任宣誓を執り行った[8]

サラの政治家としての実績から、ロドリゴの任期満了に伴って執行される予定の2022年フィリピン大統領選挙への出馬を期待する声が高まっていたが[1]、2021年11月13日に、大統領選挙への立候補を取りやめて副大統領選挙に立候補し、大統領選候補者でフェルディナンド・マルコス元大統領の息子のボンボン・マルコスと連携することを発表した[9]

2022年9月22日、来たる27日に実施予定の故安倍晋三国葬儀にサラ・ドゥテルテ副大統領兼教育大臣がフィリピン代表として参列することが、日本国外務省により発表された[10][11]
副大統領としての政策

ロドリゴのようにポプリスタ(ポピュリズムとも、フィリピンはスペイン植民地時代もあった為、スペイン語での翻訳となるが、一般にはポピュリズム及びポピュリストである)では無く、穏健的な政治家とされ、開明的であると評価されている。

副大統領初日には、各市に副大統領官邸サテライトオフィスを設立した他、2022年8月3日には運輸省と協力して副大統領府の「リブレン・サカイ・プログラム」(無料乗車プログラム)を立上げ、ピーク時間帯の道路混雑を緩和する取り組みとして無料乗車を提供し、同省から贈られたバス5台を運行してマニラ首都圏に2台、ダバオに各1台を整備した。また教育改革の実践として、教師が仕事以外のことで負担をかけないようにするため、2023年3月に教師が授業時間中にボランティア活動や課外活動に参加することを禁止する省令に署名した。また、ロドリゴが容共的な姿勢に対し、サラは反共主義的な思想を持つ。2023年5月、NTF-ELCACの共同副議長に任命された後、共産主義反政府勢力に警告を発し、反政府勢力による「いわゆる持久戦」は終わらせなければならないと述べた。
家族

サン・ペドロ大学(タガログ語版)在学時代に知り合ったマナセ・カルピオと2007年に結婚している[12]。実子である男子2人と[13]、1人の養女がいる。
脚注^ a b c 比次期大統領、ドゥテルテ氏長女は「台風の目」 SankeiBiz 2021-05-18
^“フィリピン次期大統領ドゥテルテ氏、意外に深い華人とのつながり”. ニューズウィーク. (2016年5月10日). ⇒http://www.newsweekjapan.jp/nojima/2016/05/post-1.php 2021年11月17日閲覧。 
^ Ranada, Pia (2016年10月4日). ⇒“Jewish community applauds Duterte after apology”. Rappler. ⇒http://www.rappler.com/nation/148217-philippines-president-rodrigo-duterte-apology-jewish-community 2021年11月17日閲覧。 
^ Mendez, Christina (2016年10月5日). “Duterte: No offense meant, my ex-wife is a Jew”. https://www.rappler.com/nation/philippines-president-rodrigo-duterte-apology-jewish-community 2021年11月17日閲覧。


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