サラゴサ
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Zaragoza

  

ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂エブロ川
 アラゴン州
 サラゴサ県
面積973.78 km2
標高208m
人口675,301 人 (2021年)
人口密度693.48 人/km2
住民呼称zaragozano/-a
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度39分0秒 西経00度53分0秒 / 北緯41.65000度 西経0.88333度 / 41.65000; -0.88333座標: 北緯41度39分0秒 西経00度53分0秒 / 北緯41.65000度 西経0.88333度 / 41.65000; -0.88333

サラゴサ(スペイン語: Zaragoza、[θa?a??oθa])は、スペインアラゴン州サラゴサ県ムニシピオ(基礎自治体)。アラゴン州の州都であり、サラゴサ県の県都である。
名称

ローマ時代にはカエサルアウグスタ(スペイン語版)、イスラム支配時代にはサラクスタ(Saraqusta)、またはメディナ・アルバイダ(Medina Albaida、白い都市、という意味)と呼ばれた。キリスト教国によるレコンキスタ後、ロマンス語のSaragocaに変わり、年月を経て最終的にZaragozaの綴りとなった。
地理
地勢

北からガジェゴ川が合流するエブロ川中流域の中心地であり、カスティーリャ王国とともにスペインの基礎を作ったアラゴン王国の古都として知られる。マドリードバルセロナバレンシアビルバオフランストゥールーズの各主要都市とは300 km以内の距離にあり、現代でも交通の要所である。
気候

完全にに囲まれた広い盆地に位置しているため、サラゴサはステップ気候に属する(ケッペンの気候区分ではBSk)。

サラゴサの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)10.3
(50.5)13.3
(55.9)16.6
(61.9)18.7
(65.7)23.2
(73.8)27.7
(81.9)31.5
(88.7)31.0
(87.8)26.7
(80.1)20.7
(69.3)14.3
(57.7)10.7
(51.3)20.4
(68.7)
日平均気温 °C (°F)6.4
(43.5)8.4
(47.1)10.9
(51.6)13.0
(55.4)17.2
(63)21.3
(70.3)24.5
(76.1)24.4
(75.9)20.7
(69.3)15.5
(59.9)10.0
(50)7.1
(44.8)15.0
(59)
平均最低気温 °C (°F)2.4
(36.3)3.5
(38.3)5.2
(41.4)7.4
(45.3)11.2
(52.2)14.8
(58.6)17.6
(63.7)17.8
(64)14.7
(58.5)10.3
(50.5)5.8
(42.4)3.5
(38.3)9.5
(49.1)
降水量 mm (inch)22
(0.87)20
(0.79)20
(0.79)35
(1.38)44
(1.73)31
(1.22)18
(0.71)17
(0.67)27
(1.06)30
(1.18)30
(1.18)23
(0.91)318
(12.52)
平均降水日数 (?1 mm)44456432355550
平均月間日照時間1331652102212632953373112311921481162,614
出典:Agencia Estatal de Meteorologia[1]

人口

アラゴン州の人口の約半分、サラゴサ県の人口の約4分の3がサラゴサに集中している。

サラゴサの人口推移 1900?2010

出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3]

歴史ローマ時代の城壁2世紀から3世紀にかけてのカエサルアウグスタのモザイク
古代

サラゴサでの最古の定住地は、紀元前7世紀のものである。紀元前3世紀頃、イベリア人の一部族であるサルドゥイエ族(スペイン語版)が現在のサラゴサを中心として暮らしていた。近隣のイベリア人たちがカルタゴと同盟して第二次ポエニ戦争を戦ったのとは対照的に、サルドゥイエ族は共和政ローマに協力した。

ローマ帝国時代にアウグストゥスが「カエサルアウグスタ」という名の植民市として建設した。紀元2世紀には最盛期を迎え、ローマ浴場ローマ劇場などの公共施設が建てられ、これらの遺跡は今日に残されている。3世紀にはローマの「3世紀の危機」によって、城壁が建設される代わりに公共施設は衰えた。
ゲルマン族侵入

409年ごろからスエビ族西ゴート族などのゲルマン人がイベリア半島に侵入を始めた。サラゴサはその頑丈な城壁によって持ちこたえたが、472年、西ゴートの王エウリック配下の部隊によって陥落した。ガリアから西ゴート族を退けた後の541年、フランク王キルデベルト1世クロタール1世はガリア南部へ侵攻し、サラゴサを包囲した。包囲は2か月に及び、住民は投降できず、やがて飢餓が始まった。言い伝えによれば、サラゴサ住民は都市をフランク族から守り抜くことを誓い、サラゴサの聖ビセンテの奇跡を表すチュニックを身につけて外出をしていた。当時既にカトリックに改宗していた2人のフランク王たちは、聖ビセンテの肩掛けをもらう交換条件として、包囲を解いた。聖遺物をパリへ持ち帰ったキルデベルト王は、聖遺物保管のためにサン=ジェルマン=デ=プレ教会を建てた。

7世紀のサラゴサは、大図書館を所有するサンタ・エングラシア修道院とつながりの深い多数の教会知識人、サラゴサ司教を輩出したため、セビリアトレドと並んで西ゴート王国の文化の中心地となった。
バヌー・カシー1080年当時のイベリア半島の勢力図。サラゴサ王国の最盛期

714年以降、イスラム勢力(ウマイヤ朝、756年より後ウマイヤ朝)の支配下でバヌー・カシー家(スペイン語版)(-929年)がサラゴサを中心として実質的に独立した領域支配を敷き、北部のピレネー山脈のキリスト教諸国との前線となった。820年頃パンプローナ王に即位したイニーゴ・アリスタ(英語版)と血縁関係がある[4]
タイファ・サラクスタ

1031年に後ウマイヤ朝が内乱で崩壊すると、タイファ諸国の一つであるサラゴサ王国(1018年-1110年)が成立し、タイファ・サラクスタアラビア語: ????? ??????‎、Taifa Saraqusta)というアラビア語名で呼ばれた。トゥジービー朝(スペイン語版)(1018年-1039年)、フード朝(英語版)(1039年-1110年)。最盛期の王アル=ムクタディル(スペイン語版、英語版)(在位:1046年-1081年)は、現在のアリカンテタラゴナまで領土を広げた。11世紀後半には人口約25,000人を数え、西ヨーロッパ有数の都市となっていた。アルハフェリア宮殿が建てられたのはこの頃である。1110年にはタイファ・サラクスタはムラービト朝に征服され、総督の支配下で自治を謳歌した。


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