サムラ・アノアイ
プロフィール
リングネームサムゥ
ヘッドシュリンカー・サムゥ
ワイルド・サモアン
ワイルド・サモアン3号
ワイルド・サモアン・サムラ
グレート・サムゥ
タヒチアン・プリンス
サミー・ザ・シルク
本名サミュエル・フレッド・アノアイ
ニックネームサモアの怪鳥
身長189cm
体重118kg - 125kg
誕生日 (1963-05-29) 1963年5月29日(55歳)
出身地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州
サンフランシスコ[1]
トレーナーアファ・アノアイ
デビュー1980年
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サムラ・アノアイ(Samula Anoa'i、本名:Samuel Fred Anoa'i、1963年5月29日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。カリフォルニア州サンフランシスコ出身[1]のサモア系アメリカ人。
ワイルド・サモアンズのアファ・アノアイの息子であり、レガシーのメンバーだったマヌことアファ・アノアイ・ジュニアの実兄。元WWF世界ヘビー級王者のヨコズナことロドニー・アノアイ、リキシのリングネームで活躍したソロファ・ファトゥ、ソロファの弟のウマガことエディ・ファトゥらは、彼の従弟にあたる。 アノアイ・ファミリーの総帥である父親アファ・アノアイのトレーニングのもと、1980年代初頭に10代でデビュー。1983年3月、負傷した叔父シカ・アノアイの代打としてアファのパートナーとなり、ワイルド・サモアンズの3号となってニューヨークのWWFに登場[2]。シカの復帰後もWWFでの活動を続け、ボブ・バックランド、アンドレ・ザ・ジャイアント、ダスティ・ローデス、ジミー・スヌーカなどのスーパースターと対戦した[3]。 1984年3月にはWWFとの提携ルートで新日本プロレスにワイルド・サモアン(The Wild Samoan)のリングネームで初来日。同年11月開催の『第5回MSGタッグ・リーグ戦』では、来日中止になったカート・ヘニングの代打としてハルク・ホーガンのパートナーに起用されたが、ホーガンが途中帰国したため戦績を残すことはできなかった。以降も新日本の常連外国人となり、1980年代後半は従弟のグレート・コキーナとのタッグで活躍した。 1986年6月26日、遠戚にあたるピーター・メイビアの未亡人リア・メイビア(ザ・ロックの祖母)がプロモートするハワイのポリネシアン・パシフィック・レスリングにて、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦[4]。4日後の6月30日にはカナダのモントリオールでディノ・ブラボーからインターナショナル・ヘビー級王座を奪取、11月にデビッド・シュルツに敗れるまで保持した[5]。 1987年、プエルトリコのWWCにてサムゥ(Samu)と名乗り、従弟のファトゥとのタッグチーム、ザ・サモアン・スワット・チーム(The Samoan Swat Team)を結成。1988年からはテキサス州ダラスのWCCW / WCWAに進出、8月12日にケビン&ケリー・フォン・エリックからWCWA世界タッグ王座を奪取した[6]。WCWAではバディ・ロバーツがマネージャーを務め、以降同王座を通算3回獲得。同年12月にはAWAのイベント "SuperClash III 1989年、テッド・ターナーのWCWに買収されて間もないNWAミッドアトランティック地区に参戦。ポール・E・デンジャラスリーを新しいマネージャーに迎え、同じヒール陣営のファビュラス・フリーバーズとも共闘。7月23日の『グレート・アメリカン・バッシュ'89』にて行われた5対5の時間差金網デスマッチ「ウォー・ゲーム」にはフリーバーズのマイケル・ヘイズ、テリー・ゴディ、ジミー・ガービンと組んで出場し、ロード・ウォリアーズ、スティーブ・ウィリアムス、ミッドナイト・エクスプレス(ボビー・イートン&スタン・レーン)のチームと対戦した[7]。 WCW離脱後はコキーナを加えたトリオでメキシコのUWAにも登場し、1991年1月27日にエル・トレオで開催されたアニバーサリー・ショーにおいて ミル・マスカラス、ドス・カラス、カネックの頂上トリオと対戦している[8]。
目次
1 来歴
1.1 ワイルド・サモアン
1.2 サモアン・スワット・チーム
1.3 ヘッドシュリンカーズ
1.4 サモアン・ギャングスタ・パーティ
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 外部リンク
来歴
ワイルド・サモアン
サモアン・スワット・チーム