← 1267年 - 1521年 →
→
サムドラ・パサイ王国の版図(青の部分)
公用語マレー語
首都パサイ
スルタン
1267年 - 1297年マリクル・サレー
1297年 - 1326年マリクル・タヒル
変遷
建国1267年
滅亡1521年
サムドラ・パサイ王国(Samudera-Pasai, 1267年 - 1521年)は、スマトラ島北端にあり、13世紀から15世紀の間に東南アジア最初のイスラーム国家として繁栄した。 1292年、マルコ・ポーロが訪れ、5ヶ月風待ちして過ごした[1]。 14世紀にはイブン・バットゥータが訪れた。 1406年頃、『明史』によれば鄭和がサムドラ・パサイ王国(蘇門答臘、Semudera)を6度訪れている。1417年[2]にサムドラ・パサイ王女とマラッカ王国のイスカンダル・シャー
歴史
1511年8月、ポルトガルによるマラッカ占領 (1511年)(英語版)。
1521年、ポルトガル領マラッカ(英語版)によって、滅亡した。
脚注^ 長澤、p134-135 十三世紀の南海路
^ 結婚の8年後にイスカンダルは没したとピレスは記し、結婚が成立したのは1417年前後と計算できる。
^ ピレス『東方諸国記』(生田滋等訳注)、399頁 弘末「交易の時代と近世国家の成立」『東南アジア史 2 島嶼部』、90頁
^ ピレス『東方諸国記』(生田滋等訳注)、397頁
^ ピレス『東方諸国記』(生田滋等訳注)、393頁 弘末「交易の時代と近世国家の成立」『東南アジア史 2 島嶼部』、87頁
参考文献
イブン・バットゥータ『大旅行記』全8巻 家島彦一訳、平凡社〈平凡社東洋文庫〉、1996-2002年。
この項目は、歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ歴史)。
この項目は、イスラームに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル イスラーム/PJ イスラーム)。
この項目は、インドネシアに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:東南アジア / プロジェクト:アジア)。
更新日時:2019年1月3日(木)13:12
取得日時:2020/04/22 00:37