サムエル
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この項目では、旧約聖書の人物について説明しています。

日本のバンドのサムエル(略称)については「Something ELse」をご覧ください。

その他については「サミュエル」をご覧ください。

ジョシュア・レイノルズ 『幼きサムエル』1776年 ファーブル美術館

サムエルは、旧約聖書の『サムエル記』に登場するユダヤ預言者士師(民族指導者)[1][2]。名前の語義はヘブライ語で「神は聞いてくださった」「彼の名は神」。実在の人物である場合、紀元前11世紀の人。
概略

父エルカナ、母ハンナ。サムエルは、長きにわたって子供を望んでハンナがようやく授かった子であった。母はこれに感謝し、サムエルをシロの祭司エリに仕えさせた[3]。エリは自分の息子たちの不品行を恥じ、サムエルを愛した。幼いサムエルは、寝床にあって神の言葉を聞き、成長して主の預言者として認められるようになった。

サムエルは宗教的指導者(祭司)かつ政治的民族指導者(士師)として活躍した。晩年になって民が王政を望むと、サムエルはその非を説いたが、聞き入れられず、サウルを初めての王として建てた。イスラエルはサウル王のもとで団結し、周囲の民族と戦ったが、神の「アマレク人を殲滅せよ」という命令にサウルがそむいたことから、サムエルは密かにダビデに油を注いだ。

ダビデはペリシテの勇者ゴリアテを討ち、竪琴の名手としてサウルに仕えたが、サウルは彼の人気をねたんで命を狙った。サウルを殺害するチャンスはあったが、「神の選んだ人に手をかけられない」といって手を触れなかった。ダビデの立琴によってサウルから悪霊が出て行った。

サムエルは死んで、ラマタイム・ツォフィムに葬られた。
家族

サムエルの家族については以下の通り[4][5][6][7]

サムエルの出身氏族については、サムエル記によると、父エルカナがエフライムの出身となっているが、資料により違いがある[8][9]

父:エルカナ

母:ハンナ

兄弟:弟3人、妹2人

妻:聖書中で言及なし

息子:長子ヨエル、次男アビヤ

孫:ヘマン(ヨエルの子)

預言者・指導者としてのサムエルの生涯
イスラエルの指導者となるまでエリに神の裁きを伝えるサムエル

サムエル記によれば、主がサムエルに最初に言葉を語ったのは、祭司エリの身におきる災いについてであった[10]。「主はまた三度目にサムエルを呼ばれたので、サムエルは起きてエリのもとへ行って言った、『あなたがお呼びになりました。わたしは、ここにおります』その時、エリは主がわらべを呼ばれたのであることを悟った。そしてエリはサムエルに言った、『行って寝なさい。もしあなたを呼ばれたら、しもべは聞きます。主よ、お話しくださいと言いなさい』サムエルは行って自分の所で寝た。(サムエル記上:3 : 8 - 9)「その日には、わたしが、かつてエリの家について話したことを、はじめから終りまでことごとく、エリに行うであろう。わたしはエリに、彼が知っている悪事のゆえに、その家を永久に罰することを告げる。その子らが神をけがしているのに、彼がそれをとめなかったからである。」(サムエル記上:3 : 12 - 13)

サムエルはその経験を転機とし、その後もシロで奉仕を続けていくと、その評判は国中に及び、主の預言者としてイスラエルの人々に認められて行く。「サムエルは育っていった。主が彼と共におられて、その言葉を一つも地に落ちないようにされたので、ダンからベエルシバまで、イスラエルのすべての人は、サムエルが主の預言者と定められたことを知った。主はふたたびシロで現れられた。すなわち主はシロで、主の言葉によって、サムエルに自らを現された。こうしてサムエルの言葉は、あまねくイスラエルの人々に及んだ。」(サムエル記上:3 : 19 - 21)

その後イスラエルは、宿敵ペリシテ人とのアペクでの戦いに惨敗し、契約の箱も奪われ、エリの二人の息子も殺され、それを聞いたエリもショックで倒れて死亡する。サムエルは人々に、他の神々を捨て去り一心に主に仕え立ち返るなら、主はペリシテ人から救って下さると言い、皆を集めて祈った。そこにペリシテ人が攻めてくるが、雷が敵の上に轟くと、敵は乱れて逃げて行った。こうしてサムエルの指導者としての地位は確立した。「サムエルが燔祭をささげていた時、ペリシテびとはイスラエルと戦おうとして近づいてきた。しかし主はその日、大いなる雷をペリシテびとの上にとどろかせて、彼らを乱されたので、彼らはイスラエルびとの前に敗れて逃げた。イスラエルの人々はミヅパを出てペリシテびとを追い、これを撃って、ベテカルの下まで行った。その時サムエルは一つの石をとってミヅパとエシャナの間にすえ、『主は今に至るまでわれわれを助けられた』と言って、その名をエベネゼルと名づけた。こうしてペリシテびとは征服され、ふたたびイスラエルの領地に、はいらなかった。サムエルの一生の間、主の手が、ペリシテびとを防いだ。ペリシテびとがイスラエルから取った町々は、エクロンからガテまで、イスラエルにかえり、イスラエルはその周囲の地をもペリシテびとの手から取りかえした。またイスラエルとアモリびととの間には平和があった。サムエルは一生の間イスラエルをさばいた。」(サムエル記上:7 : 10 - 15)
国王の擁立

サムエルは老いると、2人の息子(ヨエルとアビヤ)にベエルシバでのさばきを委ねるが、息子たちは賄賂をとるなど道をはずしたので、イスラエルの長老たちから、他の国のように人々をさばく王を立てて欲しいと訴えられる[11]。サムエルは気が進まず主に祈ると、主は,彼らは私が王であることを認めず、今日まで私を捨てて他の神々に仕えてきたと言いつつも、彼らの望み通りするように告げる。そしてサムエルは、王を立てると息子や娘を兵役や使役にとられたり、税金もとられ、奴隷となることもあると人々に話すが、人々は聞き入れなかった。「また、あなたがたの羊の十分の一を取り、あなたがたは、その奴隷となるであろう。そしてその日あなたがたは自分のために選んだ王のゆえに呼ばわるであろう。しかし主はその日にあなたがたに答えられないであろう。ところが民はサムエルの声に聞き従うことを拒んで言った、『いいえ、われわれを治める王がなければならない。われわれも他の国々のようになり、王がわれわれをさばき、われわれを率いて、われわれの戦いにたたかうのである』(サムエル記上:8: 17 - 20)

主は、サウルを王にするようにサムエルに告げる。サムエルはサウルの頭に油を注ぎ主の言葉を伝える。そして皆の前でクジを行うと、サウルが最後に選ばれた。


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