サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman, 1840年4月13日 - 1924年3月21日)は、アメリカの実業家・詩人・人道主義者[1]。彼の名は詩 "Youth"(日本では「青春」あるいは「青春の詩」と訳される)でよく知られている。
生涯) のヘヒンゲン
1884年、ウルマンの一家はアラバマ州バーミングハムに移住[1][2]。自治体として設立されて間もないこの若い町で[2]、ウルマンは金物の小売店をはじめ、続いて不動産業も兼営した[1]。ナチェズで商業や教育に指導的な役割を果たしたことは知られており[1]、1884年にはバーミングハム市教育委員会の委員に選出、1893年には委員長となった[1]。18年間の教育委員在任中(教育委員在任は1900年までとする記述もある[1])、彼は黒人教育に関心を寄せ[1]、黒人にも白人と同じ教育を行うことが教育的にもプラスになると主張した[2]。このほか、病院の設立[1]など、ウルマンは多くの地域社会活動に携わった。市のユダヤ教改革派のエマヌエル教会において、信徒団の長を務め、1890年[1]にはレイラビ(lay rabbi, 精神指導者[4]、在俗のラビ)になっている[2]。ナチェズやバーミングハムにおける宗教的・教育的・社会的活動は、しばしば議論を招いたものの、敬意を払われる足跡を残した[2]。
ウルマンは引退後、多くの時間を趣味(手紙やエッセイや詩の執筆)に注いだ[2]。彼の詩や詩的なエッセイは、愛、自然、信仰、あわただしいライフスタイルの友人、そして「若く」生きることといった、さまざまな題材を扱っている[2]。1920年4月、80歳の誕生日を記念して、それまでに書き溜められた詩を集め From the Summit of Years, Four Score『80年の歳月の頂から』が家族の手によって自費出版される[3][4](出版年については1922年とも[5])。1924年、アラバマ州バーミングハムにおいて死去。 「青春の詩」"Youth" は、ウルマンが70代で書いた詩で[4]、詩集 From the Summit of Years, Four Score に収められた作品のひとつである[3]。"Youth is not a time of life; it is a state of mind"(青春とは人生のある期間を指すのでなく、心の持ち方を指すものである[4])とするこの詩は、日本では「人生の応援歌」として受容されている[6]。 「青春の詩」の流布にはダグラス・マッカーサーが関わっている[7]。マッカーサーは、1940年ころにジョン・W・ルイスからこの詩を贈られたという[5]。この詩を気に入ったマッカーサーは、マニラで[1]、のちには東京でも[1]、執務室の壁に詩のコピーを額に入れて掛け[1]、また講演でもたびたび引用した。『リーダーズ・ダイジェスト米国版』1945年12月号[3]は、"How to stay young" という記事において、マッカーサーの執務室にかけられているというこの詩を紹介した[4]。ただし、『リーダーズ・ダイジェスト』に掲載された詩はウルマンのオリジナルの詩ではなく、リライトがされたもので[3]、"You are as young as your faith, as old as your doubt" 「人は信念と共に若く、疑惑と共に老いる」などの下りは、リライト部分で付け加えられたものである[8]。
青春の詩