この項目「サミズダート」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文:英語版 "Samizdat" 10:59, 31 August 2010 UTC
)サミズダート(ロシア語: самиздат; [s?m??zdat])とはロシア語で自主出版というのが原義だが、発禁となった書物を手製で複製し、読者から読者へと流通させるという、東側諸国の各地で行われたソ連の反体制派(英語版)活動の主要な方式、といった意味に使われる。地下出版とも訳される。1980年代の抵抗運動の成功の基礎を築いた。発禁物を所持もしくは複製し逮捕された者には過酷な処罰が与えられたので、公式に課せられた検閲を逃れるこの草の根運動の実践は危険に満ちていた。ウラジミール・ブコフスキー(英語版、ロシア語版)はサミズダートをこう定義した――「私が自分自身でそれを創作し、編集し、検閲し、出版し、配布し、そしてそれのために投獄された。」[1] ミハイル・ブルガーコフの小説『巨匠とマルガリータ』やヴァーツラフ・ハヴェルの著書『力なき者の力』のようなサミズダートの複製文書は、基本的に、友人の間で回し読みされるものであった。手もしくはタイプライターによりカーボン紙で数部を複製するというものから[2]、夜勤の間にメインフレーム機のプリンタで印刷したり、セミプロ級の印刷機 (printing press 語源的には、「サミズダート」という語はsam (露: сам, 「自身(で)」)とizdat (露: издат, издательство, izdatel’stvo の略語で「出版社」)からなり、「自主出版」を意味する。ウクライナ語でこれに対応する語は「サムヴィダーヴ」(самвидав)であり、sam(自身)とvydannya(出版)からなる[4]。 この語は、ロシアの詩人ニコライ・グラズコフ
目次
1 方法
2 用語と関連概念
3 歴史
4 他国での類似の現象
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
方法
用語と関連概念
「マグニティズダート(英語版)」はМагнитная лента(「磁気テープ」)からの造語で、反体制の音楽グループ、シンガーソングライター(バード(英語版))、もしくは講演などの音声の録音テープを回し聴きするというものである。
「タミズダート」はтам(「向こう」)からの造語で、国外で出版された文学を指す。密輸された原稿によるものが多かった。
ポーランドの地下出版(英語版)の歴史においては、共産主義時代後期に通常用いられた言葉はdrugi obieg(「第2流通」)であり、検閲を経た合法な出版物の流通を「第1」とする含意があった。bibu?a(「吸い取り紙」)という言葉はより古く、ポーランド分割の時代には既に使われていた。
歴史 フルシチョフ(左)とスターリン
自主出版(英語版) と自主流通による文学には長い歴史があるが、「サミズダート」はスターリン以降のソビエト連邦およびそれに似た専制政治体制下の国々に特有の現象である。警察国家の検閲による支配下で、こうした社会は自己分析と自己表現のために地下文学を用いたのである[6]。
1950年代中盤のフルシチョフの雪解け(英語版)の始まりにおいては、詩が大変な人気となり、幅広い著名な発禁・被抑圧詩人たちだけでなく無名の若い詩人たちの作品までもがソ連のインテリの間で流通した。
1958年6月29日には、スターリン体制下で自殺した未来派の詩人ウラジーミル・マヤコフスキーの彫像がモスクワの中央に建立された。公式の式典の最後では公開の即興詩の朗読が催された。モスクワ人たちはこの比較的自由な表現の雰囲気を大変に気に入り、朗読は定期的に行われるようになりロシア語: Маяк(「灯台」)と知られるようになった。参加者の大部分は学生であった。しかしながら、それは長く続かず当局は集会を取り締まるようになった。1961年の夏には、エドゥアルド・クズネツォフ(英語版)を含む複数の集会常連が逮捕され「反ソビエト(英語版)の扇動とプロパガンダ」(ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国刑法第70条)の罪に問われた。モスクワのサミズダート雑誌"Синтаксис"(「シンタクシス」)の編集・出版者であったアレクサンドル・ギンズブルグ(ロシア語版、英語版)は1960年に逮捕された。
国家の支配下にあるメディアでの合法的な出版物の一部、たとえば1962年11月に『ノヴィ・ミール(英語版)』誌で発表されたアレクサンドル・ソルジェニーツィンの小説『イワン・デニーソヴィチの一日』(1970年にノーベル文学賞を受賞)などは流通しているものを見付けるのは実質上不可能で(後には流通から取り除かれ)、サミズダートへと向かうこととなった。