サマーラ
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サマーラ
Самара


市旗市章

位置

緑の部分はサマーラを含むボルジュスキー地区

ロシア連邦内のサマラ州の位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯53度14分0秒 東経50度10分0秒 / 北緯53.23333度 東経50.16667度 / 53.23333; 50.16667
歴史
建設1586年
行政
ロシア
 連邦管区沿ヴォルガ連邦管区
 行政区画 サマラ州
 市サマーラ
市長Дмитрий Азаров(Dmitry Azarov)
地理
面積 
  市域541.382 km2
標高100 m
人口
人口(2020年現在)
  市域1,156,659人
    人口密度  2,136人/km2
その他
等時帯サマラ時間 (UTC+4)
郵便番号443xxx
市外局番+7 846
ナンバープレート63, 163
公式ウェブサイト : ⇒http://city.samara.ru/

サマーラ(ロシア語: Самара, Samara, サマラとも)は、ヴォルガ川東岸にあるロシア連邦の都市。1935年から1990年まではソ連共産党政治局員・副首相・ゴスプラン議長等を歴任した革命家ヴァレリヤン・クイビシェフに因んでクイビシェフ(Куйбышев, Kuybyshev)と呼ばれていた。

ヨーロッパ・ロシアの南東部にあるサマラ州の行政の中心。人口は116万人で、ロシア国内では上位10大都市に名を連ねる。ヴォルガ川が大きく東へ屈曲しサマーラ川が合流する場所に建つ。サマーラ市の西はヴォルガ川が流れ、北はソコルイ丘陵、東と南はステップ(草原)が広がっている。サマーラ州のサマーラ・トリヤッチシズラニを中心とした大都市圏は重工業などが盛んで、全体の人口は300万人に達する。

サマーラの生活はヴォルガ川とは切り離せない。ヴォルガはサマーラ発展の鍵を握る物流と交易の道であったが、それだけでなくヴォルガの幅広い流れが作る景観がサマーラを特徴づけている。ヴォルガ河畔の通りや公園はサマーラ市民や観光客のお気に入りの散歩道であり、この町を訪れた多くの文人がヴォルガ川に沿った長く美しい川岸の景色を愛でてきた。

1586年タタール人に対する防衛の基地が築かれ、その後、ヴォルガ地域の穀物の交易の中心地として発展した。機械工業化学工業などが盛ん。宇宙船「ソユーズ」や人工衛星を造る航空宇宙産業の中心でもあるため、冷戦期には閉鎖都市にされていた。第二次世界大戦ドイツ軍がモスクワに迫った際には、多くの政府機関がサマーラに移された。
歴史
初期の歴史救世主復活聖堂

伝説では、1357年にモスクワ府主教アレクシウス(後にサマーラの守護聖人となった)がこの地を訪れ、ここに大都市ができること、その街は決して荒され破壊されることはないだろうことを予言したとされる。ヴォルガ川の河港サマーラは14世紀にイタリア人が制作した地図には既に登場しているが、サマーラ建市の正式な年は、ヴォルガ川とサマーラ川の合流点にロシア南東の国境を遊牧民族から守り、カザンアストラハンの間の河川交通路も守る要塞(クレムリ)が築かれた1586年とされている。この要塞は、ヴォルガ下流やカスピ海沿岸やステップ地帯の彼方に住む東方の民族との交易所でもあり、1600年には税関ができている。

サマーラの港に入る船が増えるにつれ、サマーラは次第にロシアと中央アジア中東を結ぶ外交と貿易の中心となっていった。


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