サマンサ・ストーサー
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サマンサ・ストーサー
Samantha Stosur


サマンサ・ストーサー
基本情報
フルネームSamantha Jane Stosur
愛称サム (Sam)
国籍 オーストラリア
出身地同・ブリスベン
生年月日 (1984-03-30) 1984年3月30日(40歳)
身長172cm
体重65kg
利き手右
バックハンド両手打ち
ツアー経歴
デビュー年1999年
ツアー通算34勝
シングルス9勝
ダブルス25勝
生涯獲得賞金20,069,776 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪4回戦(2006・10)
全仏準優勝(2010)
ウィンブルドン(英)3回戦(2009・13・15)
全米優勝(2011)
優勝回数1(米1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪優勝(2019)
全仏優勝(2006)
ウィンブルドン(英)準優勝(2008・09・11)
全米優勝(2005・21)
優勝回数3(豪1・仏1・米1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪優勝(2005)
全仏ベスト4(2005)
ウィンブルドン(英)優勝(2008・14)
全米ベスト8(2005)
優勝回数3(豪1・英2)
国別対抗戦最高成績
BJK杯ベスト4(2014)
キャリア自己最高ランキング
シングルス4位(2011年2月21日)
ダブルス1位(2006年2月6日)
2019年1月28日現在■テンプレート  ■プロジェクト テニス

サマンサ・ストーサー(Samantha Stosur, 1984年3月30日 - )は、オーストラリアブリスベン出身の女子プロテニス選手。2011年全米オープン女子シングルスの優勝者であり、4大大会女子ダブルスで3勝、混合ダブルス3勝を挙げている。これまでにWTAツアーでシングルス9勝、ダブルス26勝を挙げる。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス1位。身長172cm、体重65kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
来歴

ストーサーは友達の勧めがきっかけで8歳からテニスを始めた。2003年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップオーストラリア代表選手になる。2004年アテネ五輪では、シングルス・ダブルスとも1回戦で敗退した。2005年からストーサーのテニス経歴は開花を始め、ダブルスで年間7勝を挙げた。最初の2勝は同じオーストラリアのブリーアン・スチュワートとペアを組み、同年のウィンブルドン女子ダブルス準決勝進出まではスチュアートがパートナーであったが、ウィンブルドン終了後のアメリカカリフォルニア州スタンフォード大会からリサ・レイモンドと組むようになる。このペアは同年の全米オープン女子ダブルスで4大大会初優勝を飾り、決勝でエレーナ・デメンチェワフラビア・ペンネッタの組を 6-2, 5-7, 6-3 で破った。その後、2人は女子テニス年間最終戦・WTAツアー選手権の女子ダブルスでも優勝した。シングルスでのストーサーは2005年の1月に2週連続準優勝があり、2006年5月第2週にはチェコプラハ大会の決勝でイスラエルシャハー・ピアーに 6-4, 2-6, 1-6 で敗れている。

2006年全豪オープンで、サマンサ・ストーサーは初めて4大大会の女子シングルス4回戦に進出したが、この年から3年ぶりに現役復帰したばかりのマルチナ・ヒンギスに 1-6, 6-7 で敗れた。この大会ではレイモンドと組んだ女子ダブルスでも、中国ペアの鄭潔&晏紫組に 6-2, 6-7, 3-6 の逆転で敗れて準優勝に終わった。しかし、翌週に日本の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」で優勝する。2006年全仏オープンではレイモンドとのペアで、第5シードの杉山愛&ダニエラ・ハンチュコバ組を 6-3, 6-2 で圧倒し、4大大会女子ダブルス2勝目を挙げた。

それから2年後、ストーサーとレイモンドは2008年ウィンブルドンで初めての決勝進出を決めたが、ビーナスセリーナのウィリアムズ姉妹ペアに 2-6, 2-6 のストレートで完敗した。この後北京五輪で2度目のオリンピックに出場する。2009年から、ストーサーのダブルス・パートナーは同じオーストラリアのレネ・スタブスに変わった。

2009年全仏オープンで、サマンサ・ストーサーは初めてシングルスのベスト4に進出した。第30シードだった彼女は、3回戦で第4シードのエレーナ・デメンチェワを破って波に乗り、4回戦はビルジニ・ラザノ、準々決勝ではソラナ・チルステアを破って勝ち進んだ。初進出のシングルス準決勝では、第7シードのスベトラーナ・クズネツォワに 4-6, 7-6, 3-6 で競り負け、彼女の快進撃はここで止まった。

それから4か月後、ストーサーは大阪市内の靱テニスセンターで開かれたHPオープンでWTAツアーのシングルス初優勝を飾った。決勝戦ではフランチェスカ・スキアボーネに 7-5, 6-1 のスコアで勝った。(それまでの彼女は、WTAツアーのシングルス決勝で5度の準優勝に甘んじていた。)

2010年、ファミリー・サークル・カップの決勝でストーサーはベラ・ズボナレワを 6-0, 6-3 で破り、シングルス2勝目を挙げると、全仏オープンでは4回戦で過去4回優勝しているジュスティーヌ・エナンを 2-6, 6-1, 6-4 で、準々決勝では世界ランク1位のセリーナ・ウィリアムズを 6-2, 6-7 , 8-6 で破り2年連続の準決勝に進出する。準決勝ではエレナ・ヤンコビッチセルビア)に 6-1, 6-2 で圧勝し4大大会初の決勝に進んだが、決勝でフランチェスカ・スキアボーネに 4-6, 6-7 で敗れ準優勝となった。

2011年、第9シードで臨んだ全米オープンは、3回戦、4回戦、準決勝をいずれもフルセットの接戦で勝ち上がり、決勝では1ヶ月前に怪我から復帰した元女王のセリーナ・ウィリアムズと対戦。6-2、6-3 のストレートで快勝し、念願のシングルスグランドスラム初タイトルを手にした。

ストーサーは芝の大会が苦手でウィンブルドンのシングルスでは2009年と2013年、2015年の3回戦進出が最高成績である。3度目の五輪出場となったロンドン五輪でもシングルス、ダブルスとも1回戦で敗退した。
WTAツアー決勝進出結果
シングルス: 25回 (9勝16敗)

大会グレード
2008年以前2009年以後
グランドスラム (1?1)
WTAファイナルズ (0?0)
ティア I (0?0)プレミア・マンダトリー (0-0)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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