ルイジアナ州サビーン郡
郡のルイジアナ州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1843年
郡名の由来サビーン川とサビーン自由州
郡庁所在地メニー
サビーン郡(英: Sabine Parish)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州の西部北に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は24,233人であり、2000年の23,459人から3.3%増加した[1]。郡庁所在地はメニー(人口2,853人[2])であり[3]、同郡で人口最大の町でもある。
サビーン郡は1843年3月7日に、ルイジアナ州議会が多くの時間を掛けて創設した5郡の1つである。ナケテシュ郡の一部から、西のサビーン川をアメリカ合衆国とテキサス共和国の国境として設立された。
目次
1 歴史
1.1 中立地帯
1.2 サビーン郡の設立
1.3 プレザントヒルの戦い
1.4 鉄道の時代
1.5 第二次世界大戦と演習
2 地理
2.1 主要高規格道路
2.2 隣接する郡
3 人口動態
3.1 収入
4 都市と町
4.1 都市
4.2 村
4.3 未編入の町
5 教育
6 脚注
7 外部リンク
サビーン郡となった地域はカド連邦のアデス族インディアン住んでおり、その後、スペイン、フランス、イギリス、またスペインと支配者が変わり、さらにフランスに戻ったあとにナポレオン・ボナパルトが1803年のルイジアナ買収でアメリカ合衆国に売却した。 この買収の後に境界論争が起こった。アメリカ合衆国はサビーン川を国境と主張し、スペインはそれより東のレッド川支流であるアロヨ・ホンドを国境と主張した。1806年に結ばれた中立地帯条約によって、両者の主張に挟まれた地域を「サビーン自由州」と宣言し、非武装化した地帯としたが、その中立地帯は無法者、ならず者、犯罪者、海賊の避難所となった。この中立地帯は西のサビーン川から、東のカルカシュー川、バイユー・キサッチーとドン・マニュエル、ラク・テレ・ノワールとアロヨ・ホンドまで広がっていた。アメリカ合衆国とスペインの双方がその領有を主張したが、どちらも支配しようとはしなかった。東部州から英語を話す開拓者が、西部拡張時代に移ってくるようになった。彼らはリオ・ホンド・クレームと呼ばれるスペインが払い下げを行った土地に入った。初期開拓者の一人がトマス・アーサーであり、ネグリート・クリーク沿いの土地640エーカー(2.6平方キロメートル)を登記した。
歴史
中立地帯