サバルタン
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サバルタン(英語: subaltern、フランス語: subalterne、イタリア語: subalterno)は、ポストコロニアル理論などの分野において用いられる、ヘゲモニーを握る権力構造から社会的、政治的、地理的に疎外された人々をさす術語。日本語では「従属的社会集団」などと訳されることがある[1]
歴史

この術語は、イタリアマルクス主義思想家であったアントニオ・グラムシの業績に由来し[1]、南アジア史における非エリート階層の役割に注目した南アジア史研究者たちのグループ、サバルタン・スタディーズ・グループ(Subaltern Studies Group)の業績を通してポストコロニアル理論に導入されたものである[2]

1970年代には、この術語は植民地統治下に置かれた南アジア亜大陸(インド亜大陸)の民衆を指す用語として使用され始めた。この概念によって、植民地化された場所の歴史記述を、植民地支配をする側の視点からではなく、植民地支配される側の視点から捉えるという新たな観点がもたらされた。マルクス主義の歴史家たちは、既にもっぱらプロレタリアートの観点から植民地の歴史を検討し始めていたが、それでも依然としてヨーロッパ中心主義的な世界観という面があり、理論的に十分ではないと見なされた。1980年代に、「サバルタン・スタディーズ」は、「南アジア史学への介入」として始まった。「サバルタン」はインド亜大陸の状況に適合するモデルとして生み出されたが、すぐに「活発なポストコロニアル批評」が様々な方向に展開されるようになった。

今日では、歴史学人類学社会学人文地理学文学において、常用される術語となっている[3]

日本では、1998年に(竹中千春 訳)『サバルタンの歴史:インド史の脱構築』[4]ガヤトリ・C・スピヴァク上村忠男 訳)『サバルタンは語ることができるか』[5]が翻訳出版された。

1999年に『現代思想』7月号で特集「スピヴァク?サバルタンとは誰か」が組まれた。2001年に崎山政毅の『サバルタンと歴史』[6]が刊行された。
意味

サバルタンは、ポストコロニアル理論において用いられる。現代の哲学文化批判における厳密な意味については議論がある。一部の論者は、周縁化された集団や下層階級といった、エージェンシー(行為主体)たる社会的地位を与えられていない人々を指す、一般的な表現としてこの語を用いている[7]。これに対し、ガヤトリ・C・スピヴァクなどは、より厳密な、特定の含意においてこの語を用いている。スピヴァクは次のように述べている。「サバルタン」というのは、単に被抑圧者たちや、(大文字の)他者や、パイの分け前にあずかれない誰かを指す上等な言葉ではない。... ポストコロニアル理論の術語としては、誰であれ何であれ、文化帝国主義への接近が限られている、あるいは拒まれているものはサバルタンであり、そこには異なる空間が存在する。それ(サバルタン)は単に抑圧されている者のことだ、というような人はいるのだろうか? 労働者階級は抑圧されている。しかし、彼らはサバルタンではない。... いろいろな人々が、自らのサバルタンとしての位置づけを主張する。そうした人々は、ほとんど関心を引くような存在ではないし、最も危険なのだ。つまり、大学のキャンパスでマイノリティとして差別されている、というだけでは「サバルタン」という言葉は必要ない。... そうした人々は先ず、差別の仕組みがどのようなものなのかを理解しなければならない。彼らはパイの分け前をめぐるヘゲモニーの言説の内にあって、分け前にあずかっていないということであり、自ら声を上げてヘゲモニー言説を述べればよいのだ。そうした人々は、自らをサバルタンと称すべきではないのだ。 ? de Kock, Leon (1992). ⇒“Interview With Gayatri Chakravorty Spivak: New Nation Writers Conference in South Africa”. ARIEL: A Review of International English Literature 23 (3): 29-47. ⇒http://ariel.synergiesprairies.ca/ariel/index.php/ariel/article/viewFile/2505/2458 2011年11月13日閲覧。. 

サバルタンは、もともとイギリスの軍隊において大尉以下の士官(准大尉)を指す表現であったが、軍事と無関係な意味で最初にこの言葉を使ったのは、マルクス主義アントニオ・グラムシであった。一部には、グラムシはこの言葉を、獄中から出す書簡の検閲をすり抜けるために、プロレタリアートと置き換えるべき暗号として、プロレタリアートと同義で使ったのだ、と考える者もいるが、そうではなく、この言葉の使い方には特別なニュアンスが込められており、必ずしも明快な表現ではないと考えている者もいる[8]

ポストコロニアル理論の重要な思想家であるホミ・バーバ(Homi Bhabha)は、複数の論文におけるサバルタン集団の操作的定義において、社会的権力関係の重要性を強調し、次のように述べている。抑圧されたマイノリティ集団の存在が、多数派集団の自己規定にとって重要な役割を果たしているような場合、サバルタン社会集団はヘゲモニー的権力を掌握する権威者を転覆させ得る位置を占めていることになる。 ? Garcia-Morena, Laura and Peter C. Pfeiffer Eds. "Unsatisfied: Notes on Vernacular Cosmopolitanism." Text and Nation: Cross-Disciplinary Essays on Cultural and National Identities. Columbia, SC: Camden House, 1996: pp. 191-207 and "Unpacking my library...again," in The Post-colonial Question: Common Skies, Divided Horizons. Iain Chambers, Lidia Curti, eds. New York: Routledge, 1996: 210.

ボアベンチュラ・ジ・ソウザ・サントス(Boaventura de Sousa Santos)は、2002年に発表した著書『Toward a New Legal Common Sense』の中で「サバルタン・コスモポリタニズム (subaltern cosmopolitanism)」という表現を何度も用いている。ジ・ソウザ・サントスは、反ヘゲモニー的実践、運動、抵抗、闘争を通して新自由主義グローバライゼーションに対抗するという文脈で、とりわけ社会的疎外(social exclusion)に対する闘争について、この言葉を用いている。ジ・ソウザ・サントスは、「多様性の平等」を求める多様性を組み込んだ規範的準拠枠を意味するものとして、「サバルタン・コスモポリタニズム」を「世界市民的合法性 (cosmopolitan legality)」という表現と同様の趣旨で用いている。この文脈において「サバルタン」という術語は、特にヘゲモニー的グローバライゼーションを相手に闘う、周縁化され抑圧された人々のことを指している。
理論

ポストコロニアル理論は、西洋的な知識が権力を持ち、優勢であり続ける状況を理解しようとしている。エドワード・サイードオリエンタリズムをめぐる業績は、オリエンタリズムが、どのように、その基礎を築き、植民地支配を通した大文字の他者への優越を正当化するか、その過程を説明しているという点において、サバルタンの概念と関係するものである。サイードによれば、ヨーロッパ人は、オリエントの想像上の地誌を創造して、自分たちにとって既知の世界の外側に野蛮人や怪物がいるというイメージを予め設定した上で、それを実際に探検していったのである。オリエントの探究の初期段階においては、旅行者がもたらす怪物や異境の報告によって、こうした神話は強化されていった。オリエントが異質で奇妙な世界であることは、「私たち」と「奴ら」を二分していくメディアと言説によって、通念として固定化されていった。それはまた、オリエントとの差異を定義していくことを通して、ヨーロッパ人たちが、自らを定義していったということでもあった。ここに、オリエントは後進的で非合理的存在であり、ヨーロッパにおける意味での近代化を成し遂げるためには援助が必要な存在だ、とする植民地主義(コロニアリズム)の基礎が置かれていた。オリエンタリズムの言説は、ヨーロッパ中心主義的なものであり、オリエント自身の声を取り上げようなどとはしないのである[9][10]

スチュアート・ホールは、言説の力が西洋の優越を創造し、強化している、と論じている。ヨーロッパ人たちは、自らと他者との間の差異を表現しようとするとき、ヨーロッパの文化カテゴリー、言語、思想を用いる。言説によって生み出された知識は、実践に付され、現実となっていく。差異の言説を生産することで、ヨーロッパは他者に対する優越を維持することが可能になり、言説の生産から大文字の他者を除外することで、サバルタンを創出していくのである[11]。オーエン・アリク・シャハダー(Owen 'Alik Shahadah)はこの点について、アフリカについてのヨーロッパ中心的言説は、その研究を喚起した根本的なパラダイムが、そもそもアフリカの主体性を否定するところに根ざしており、まったくの誤りである、と論じ、政治的な知性主義は、客観的な研究から離れ、自身の自己肯定へと歪められていくのだと論評した[12][13]
サバルタンの声を聞く

ジョアン・シャープ(Joanne Sharp)は、ガヤトリ・C・スピヴァクを踏まえ、西洋の思想家たちは他の様々な形態の知識のありかたを神話や伝説として捉え直し、周縁化してきたのだ、と論じている。自分たちの声を聞いてもらうためには、サバルタンたちはまず西洋の思想、論理、言語を受け入れなければならない。これを踏まえて、シャープやスピヴァックは、サバルタンたちは自らの主張なり、知識や論理の形を表現することはあり得ず、ただ西洋の知識の作法に則って自分たちの知識を形成するばかりだ、と主張している[14]

自分の伝統的な思考を放棄し、西洋の思考を受け入れることは、多くのポストコロニアル状況において必要とされることである。従属する側の個人が抑圧者側に話を聞いてもらえるのは、抑圧者たちの言語で話す場合だけである。そして、(言語を受け入れるという)服従の姿勢はサバルタンの真の声を濁してしまう。こうしたフィルターは、実に様々な形態で、堂々と存在している。

例えば、植民地体制下のラテンアメリカでは、サバルタンは自らの言語に、宗教や隷属のフィルターを使わなければならなかった。


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