サニー・マイヤース
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サニー・マイヤース
プロフィール
リングネームサニー・マイヤース
[1]
本名Harold Calvin Myers[1][2]
ニックネームカンザスの砂嵐[3]
身長185cm[3]
体重105kg[3]
誕生日1924年[3]1月22日[1]
死亡日 (2007-05-07) 2007年5月7日(83歳没)[1][2]
出身地 アメリカ合衆国
ミズーリ州
ブキャナン郡セントジョセフ[3][2]
スポーツ歴レスリング[3]
トレーナーGust Karras[2]
デビュー1943年[1]
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サニー・マイヤース(Sonny Myers、本名:Harold Calvin Myers、1924年1月22日 - 2007年5月7日)は、アメリカ合衆国プロレスラーミズーリ州セントジョセフ出身。

アマチュアレスリングで培った技術のもと、ベビーフェイスの技巧派選手として活躍した[3]
来歴

ハイスクールの頃からスポーツ万能で、レスリングでは学生選手権に優勝。大学卒業後プロに転向し[3]、地元のミズーリカンザスなどの中西部をサーキット・エリアとするセントラル・ステーツ・レスリング(CSW)を主戦場に活動した。

1947年11月3日、アイオワ州オーヴィル・ブラウンを破りNWA世界ヘビー級王座を奪取、翌年の1948年1月5日にブラウンに奪還されるまでタイトルを保持していたが、現在は王者として認定されていない[4]1956年には、原告側のリーダーとなってNWA独占禁止法違反で告訴した[5]

日本には1960年1963年日本プロレスに来日。1960年の初来日時には力道山の持つインターナショナル・ヘビー級王座に2度挑戦している[6]。また、来日中はアントニオ猪木の素質に注目し、猪木を自分に預けろと力道山に掛け合った[5]

1964年には海外修行でセントラル・ステーツ地区に遠征していた猪木をコーチしており、リングの上でもマイヤースはパット・オコーナー、猪木はトーキョー・トムと名乗ってモンゴリアン・ストンパーをパートナーに、NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座を争っている。その縁故でマイヤースは1966年東京プロレス旗揚げに協力、選手として参戦する一方で外国人レスラーの斡旋も担当し、ジョニー・バレンタインジョニー・パワーズの初来日を実現させた[5]

キャリア晩年の1970年代後半から1980年代前半にかけては、スーパー・デストロイヤーなどを名乗りNWA圏にスポット参戦した。

2007年5月7日、83歳で死去[7]
得意技

スリーパー・ホールド[1]

ローリング・クラッチ・ホールド[3]

獲得タイトル
セントラル・ステーツ・レスリング


NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座 : 14回[8]

NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座 : 1回(w / ボビー・グラハム)[9]

NWA USヘビー級王座(セントラル・ステーツ版) : 2回[10]

NWA北米タッグ王座(セントラル・ステーツ版) : 4回(w / パット・オコーナー×2、ロニー・エチソン×2)[11]

NWA世界タッグ王座(セントラル・ステーツ版) : 4回(w / ラリー・ハミルトン×2、ソー・ハーゲン、パット・オコーナー)[12]

NWAミッドアメリカ


NWA南部ジュニアヘビー級王座 : 1回[13]

NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ


NWA北米ヘビー級王座(アマリロ版) : 2回[14]

NWAサウスウエスト・ヘビー級王座 : 1回[15]

NWAサウスウエスト・タッグ王座 : 3回(w / Dizzy Davis、レオ・ガリバルディ、Larry Chene)[2]

サウスウエスト・スポーツ・インク


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