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出典検索?: "サトル・サトウ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2016年11月)
サトル・サトウ(佐藤 達)
生誕 (1945-11-14) 1945年11月14日(78歳)
職業造形作家、画家
受賞第一等文化功労賞(エクアドル政府)
国際彫刻シンポジューム大賞(韓国・山清郡)
朝鮮戦争終結50周年記念国際彫刻シンポジューム名誉区民賞(釜山広域市南区)
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サトル・サトウ(佐藤 達〈さとう さとる〉、1945年11月14日 - )は、フランスを拠点に活動する画家、造形作家。宮城県登米市出身。宮城県佐沼高等学校卒。フランス・パリ在住[1]。
1969年、パリでデビュー。1979年、「鉛直主義」を世界に向けて宣言し国際的抽象画家となったサトルは、幾何学構成的絵画から立体作品、環境造形作家として、パリを拠点に多くの制作、発表を各国で行っている。
略歴
1945年 - 宮城県登米郡石森町(いしのもりちょう、現登米市中田町石森[1])に生まれる。宮城県佐沼高等学校卒業。
1969年 - 東洋美術学校卒業、その年、パリ国立美術学校に留学、1974年迄学ぶ。
1970年 - エジプト旅行、ピラミッドに出会い、構成、構造、幾何学の原点に触れ、衝撃を受ける。
1972年 - パリで初めての企画個展、パリ招待サロン、レアリテー・ヌーベルに出品。
1973年 - ミシェル・スフォール、岡本謙次郎と出会い、大きな影響を受ける。この頃より、パリの幾何学構成主義的作家達と交流を持ち、グループ展等に参加し始める。
1976年 - パガニー野外彫刻美術館より依頼され、モザイクを制作。イタリア
1979年 - パリにて、鉛直主義を唱える。
1986-2004年 - パリの現代サロン、グランエジュンヌドージュドウイの運営審査委員に任命される。
1988年 - 宮城の五人展に招待出品。宮城県美術館、仙台
1989年 - 在仏20年記念展が、有楽町・そごう、仙台・藤崎、銀座・モリス・ギャラリー、新潟の創庫美術館、パリ・ギャラリー・コンベルジャンス等で開始され、作品集が創庫美術館より出版される。
1990年 - 御影石による、初めての野外彫刻制作。南方中学校
1991年 - 1%制作、ブルガンブレス市立中学校に環境造型アート作品を制作。
1991-2007年 - 国立パリ大学第八、造型美術学科講師を勤める。
1992年 - みなみかたアート・フェステバルを企画、7人の現代彫刻家・現地制作(登米市南方町)、全国的にテレビ、ラジオ、新聞等で報道される。
1994年 - 登米祝祭劇場庭に、御影石による作品を制作。
1995年 - 登米市夏川、ポンデザール(芸術橋)橋全体と周りの自然を取り入れた環境造型的作品を制作。
1996年 - 仏・クレルモン・フェラン、御影石に寄る環境造型作品制作。700 x 1400 x 4500cm
1998年 - エクアドル・キトのメトロポリタン公園にコンクリートで環境造型作品制作。700 x 1500 x 4500cm、エクアドル政府より第一等文化功労賞を受ける。(日本人では野口英世博士はじめ3人目)
2000年 - 韓国・山清郡の国際彫刻シンポジュームで大賞を受賞。
朝鮮戦争終結50周年記念国際彫刻シンポジュームにて、釜山広域市南区の名誉区民賞を受賞。
登米市中田町、諏訪公園、2.5ヘクタールの空間環境造型アート作品を完成。
2001年 - レバノンで野外造型作品を制作。
2003年 - 韓国民族村にて、野外造型作品を制作。
2004年 - 台湾、桃園県にて、野外作品を制作。550 x 460 x 2000cm
米国、プエルト・リコ大学本部公園にて野外作品を制作。680 x 1000 x 2200cm
2005年 - ベネズエラにて、環境造型作品を制作。
石ノ森章太郎ふるさと記念館隣、安永寺(中田町石森)の為に、”無常の響き”制作。
2006年 - アンドラ国、郵政局より、2004年制作の環境造型作品の作品(900 x 600 x 5050cm)の作品が、切手として30万枚発行される。
2007年 - 故郷である宮城県登米市中田町にサトル・サトウ・アート・ミュージアムが開館。