サテラビュー
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サテラビュー


メーカー任天堂
種別ゲーム機周辺機器
世代第4世代
発売日 1995年4月中旬(申込者への発送開始)[1]
1995年11月1日(店頭販売開始)
対応メディア以下のスーパーファミコン用ロムカセット
衛星放送専用カセット『BS-X』
衛星放送対応カセット[注釈 1]
ダービースタリオン96
糸井重里のバス釣りNo.1
対応ストレージ8Mメモリーパック
フラッシュメモリ
BS-Xカセット内蔵
バッテリーバックアップ
外部接続ビットストリーム入力端子
38ピン拡張コネクタ(未使用)
オンラインサービスセント・ギガ衛星データ放送 スーパーファミコンアワー[注釈 2]
売上台数 200万台(出荷台数)
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セント・ギガ衛星データ放送
スーパーファミコンアワー

運営元衛星デジタル音楽放送
任天堂(1998年度まで)
種類ゲームソフトおよび各種情報番組の放送
サービス開始日1995年4月23日
サービス終了日2000年6月30日
プラットフォームサテラビューを接続したスーパーファミコン
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サテラビュー(Satellaview)は、1995年任天堂が日本で発売したスーパーファミコン専用周辺機器であり、1995年から2000年までBSアナログ放送にて実施されたスーパーファミコン向け衛星データ放送サービスを受信するためのデータ放送受信端末(モデム)である。主にゲームソフトが配信された。

サテラビューは機器の名称だが、この機器で受信できたデータ放送サービス(スーパーファミコンアワー)も度々サテラビューと呼ばれた。当時の販売価格は送料税込18,000円。
歴史
衛星データ放送の制度化

1984年に打ち上げられた放送衛星により実施されたBS放送は通常のテレビ放送だけでなく、独立音声放送、ファクシミリ放送、データ放送、ハイビジョン放送など多彩なサービスを視野に入れて開発・実施された。しかし当初その放送電波のデジタル放送帯域はデジタル音声放送の利用のみに限られていた。データ放送は当時の郵政省により、事業としての目処が立つ事業者だけに免許が与えられる施策が採られており、魅力あるコンテンツを供給できるかどうかが、参入を希望する事業者たちが共通で頭を悩ませる点であった。

1990年からBS第5チャンネル[注釈 3]WOWOWと共用し独立音声放送を実施したセント・ギガを運営する衛星デジタル音楽放送(SDAB)は経営悪化に陥っていた。任天堂は1993年1月に子会社の任天堂ギガを設立し同社を通じ同年3月にSDABへ資本参加し、データ放送事業の計画を公表した。この事業にはSDABを任天堂の資本支援により健全化させる目的が含まれた。ラジオ放送を補完する文字画像情報のほか、ニュース天気予報教育番組カラオケ番組などの配信が予定されたが、ゲームソフトの放送は法規制や技術面から困難とされた[2][3]。BSによる衛星データ放送は1993年から郵政省の諮問機関により答申が行われ、1994年に制度化された。その後1995年3月にセント・ギガのデジタル放送帯域を使用し、任天堂がコンテンツを供給するプランが認可を受け、SDABへ対し放送免許が交付された。1993年の計画で公表された天気予報やニュースは実施せず、任天堂が得意とするゲームソフトを中心とした娯楽放送として実施されることとなった。コールサインはJO33-BS-TDM1である[注釈 4]
サービスセンターの開設・機器販売の開始

1995年2月13日より機器の通信販売、受信機器の接続方法や放送内容等の問い合わせに応じるコールセンター「任天堂サテラビューサービスセンター」が設置され、SDAB設立当初から資本参加していた福武書店(現・ベネッセコーポレーション)が共同運営した。問い合わせ先の電話番号には東京・大阪の2番号が用意された。

任天堂はこれと同時に専用カセットなど受信に必要な機器をまとめた「サテラビューセット」の通信販売を開始した。価格は送料税込18,000円である。店頭や『クロノ・トリガー』に同梱され配布された小冊子、ゲーム雑誌へ綴じこまれた注文ハガキ、サービスセンターにより申し込みを受け付け、1995年4月中旬からヤマト運輸代金引換にて順次配送が開始された。しかし店頭販売はまだ実施されなかった。
衛星データ放送サービス開始

衛星データ放送サービスは1995年4月23日からセント・ギガ衛星データ放送 スーパーファミコンアワー[注釈 5]の名称で、広告収入による無料放送の形態により本放送を開始した[4]。データ放送を受信するには受信機器を揃えるのみでよく、セント・ギガとの受信契約や有料放送を受信するためのBSデコーダーは必要としなかった。

放送は毎日昼12時から深夜2時まで行われた[注釈 6]。1時間あたりゲームや文字情報番組を交代で2-3番組、一部時間帯を除き番組ガイドを常時配信する編成を基本とし、夕方を中心とした数時間は同時に放送されるラジオ番組とデータ番組を連動させた「音声連動番組」の時間に割り当てた。セント・ギガのラジオ放送は有料放送のため通常はスクランブルが掛けられ、加入者以外は聴くことはできなかったが、この音声連動番組の時間帯は無料のノンスクランブル放送で行われ、セント・ギガとの契約およびBSデコーダーの有無、サテラビューの有無に関わらずラジオ音声を聴くことができた。

スーパーファミコン向けにソフトを発売した主要サードパーティー各社も積極的に関与した。スクウェアは『クロノ・トリガー』のサウンドテストなどデモ番組を放送し、ラジオ番組にはスタッフがインタビューに出演した。アスキーはサテラビュー向けにゲームソフトを供給した他、放送開始とともに『月刊ファミコン通信攻略スペシャル』の増刊、姉妹紙として、データ放送の番組表、放送されるゲームの内容や攻略情報、番組出演者へのインタビューなどを掲載した月刊誌『サテラビュー通信』を刊行した。ハドソンはサテラビュー専用に供給したゲームソフト『鮫亀』のテレビCMを製作・放送した。このCMは鮫亀のテーマソングとともに福原愛が登場し、店頭では売っていないソフトであることが告知された。

広告資材では衛星放送による新サービスであることを強調した「宇宙から新しいゲームが降りそそぐ。」、視聴者が参加する放送であることを示す「聴く、見る、遊ぶ、参加する!!」のキャッチコピーが用いられ、「世界初の衛星データ放送」と説明された。このデータ放送は一部ではマルチメディアの実例として、さらにはラジオやテレビに続く新しい放送形態として期待された。
サテラビュー向け事業の縮小と新たな事業計画

サテラビュー購入者の伸び悩みから、データ放送は早くも1996年度以降規模を縮小した。アスキーは放送内容の縮小に伴い『サテラビュー通信』を1996年春に廃刊。1996年9月末には任天堂サテラビューサービスセンターが業務を終了し、10月以降番組内容に関してはセント・ギガが、受信機器に関しては任天堂がそれぞれ個別に対応することとなった。

同年6月に任天堂は野村総合研究所マイクロソフト株式会社と共同で、セント・ギガのデータ放送とインターネットを融合させたWindowsPC向けの情報サービスを提供する計画を発表したが、1997年に計画を白紙撤回した[5][6][7]
SDABと任天堂の決裂「衛星デジタル音楽放送」を参照


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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