サテライトNo.1
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サテライトNo.1
サテライトスタジオが設置されていた
旧ダイイチ本店(現:エディオン)
ジャンルバラエティ番組
放送方式生放送(録音の場合もあり)
放送期間1972年5月7日 - 1988年3月27日
放送時間日曜 16:00 - 17:00 →
日曜 17:00 - 18:00
放送局中国放送
パーソナリティ柏村武昭ほか
テーマ曲ソウル・フィンガー(バーケイズ
提供第一産業 → ダイイチ
(現・エディオン
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『サテライトNo.1』(サテライトナンバーワン)は、中国放送(RCCラジオ)制作で放送されていた公開ラジオ番組。提供元でもある家電販売店の第一産業本店(現・エディオン広島本店[補足 1])のサテライトスタジオより公開生放送が行われた。
概要

第一産業(現・エディオン)の創業25周年に当たる[1]1972年5月7日に『サテライトX』の仮題で放送開始[1][2]。新聞のラジオ欄には「只今タイトル募集中」と番組名が掲示された[3][補足 2]。その後タイトルは一般公募が行われ[1]、1000通の応募の中から同月28日に『サテライトNo.1』とのタイトルが決定[7]。放送開始当初は日曜日16時からの1時間放送で[1]、後に日曜日17時からの1時間放送になり、1988年3月27日まで放送された[8]。最終回は枠を拡大して90分スペシャルで放送された[9]

タイトルの「No.1」は、エディオンの源流会社の一つのデオデオの旧社名「第一産業」の「第一」が由来になっている[10]

日本各地で評判だった[11]、広島初のサテライトスタジオからの放送で[1]、家電の売り上げ促進策の一環として電通と企画[1]。電通経由で中国放送に協力を依頼し[1]、当時『ビクター・ミュージック・ホリデー』で人気が出始めていた柏村武昭(当時・RCCアナウンサー)を起用した[1]

番組開始当初は、木造の本店 2階のオーディオ売場中央にサテライトスタジオが設けられた[1]。当時のスタジオは、2畳ほどの金魚鉢みたいな簡易的な物だった[1]。放送開始当時、来場者数の多さに床の補強工事を行った話がある[10]1975年6月22日の新本店(後の本店・本館)オープンで、7階に本格的なイベント会場が設置され放送された[7][補足 3]

1975年8月、柏村は中国放送を退社。土居まさるの個人事務所に所属するフリーアナウンサーに転身後も中国放送との優先出演を継続し、出演を続行[8]。番組終了まで続投した。

ローカルブロックネット番組として成功を収め、聴取率も首位を維持[2]1982年には24.0%の聴取率を記録した(これはRCCの野球中継を除くラジオ番組の中で今でも破られていない最高記録)[12]。ダイイチの支店網の充実に合わせて、ネット局の拡大や[8]、本店のサテライトスタジオの他にもダイイチの支店内や、ダイイチの支店がある地区のホールなどで公開録音が行われた[8]

番組の企画で『痛快! 赤ヘル音頭』『サテライトNo.1』のレコードを制作、販売[8]。1977年には本が出版された[13]。一番の人気コーナーとされていたのは『コント小話』であり、最終回では同コーナーの総集編が放送された[9]

テーマ曲はジンタージンマーマン「ソウルフィンガー」[14]

1995年に『柏村・やすべえのサテライトNo.1』(かしむら・やすべえのサテライトナンバーワン)として復活。1年間 放送した。

本番組の終了後も、RCCラジオの日曜17時台は『ニンニキ日曜500』『つないでサン局山陽路』」など、中国5県(4局)や山陽地方のネット番組の放送枠となり、『ニンニキ日曜500』は本番組から引き続き、ダイイチの提供で放送した。詳しくは柏村武昭の項を参照のこと。
出演者

パーソナリティは柏村武昭。本人は、フジテレビの『プロ野球ニュース』からキャスターのオファーがあったが、それを断ってこの番組を続けたことを明かしている[12]。アシスタントは放送開始当時に公募を行い、女子大生、主婦、OL、高校生などがアシスタントを務めた[7][13]。1975年4月より、林竹洋子[補足 4]が出演[13]。1985年4月まで出演した[8]。その後は「ヤング スタッフ」と称したアシスタントを募り、斉藤満喜子松村邦洋が出演した[8]。なお、出演回数最多のゲストは村下孝蔵であった(最終回にもゲスト出演した)[9]
コーナー

コントこばなしコーナー
[15]

ピンとポンとコント[16]※各コーナーではがきなどの採用者には、番組オリジナルグッズ(No.1バッグ、Tシャツ貯金箱など)が贈られた[17]

ネット局

ダイイチ(第一産業)の店舗網拡大に合わせて制作局の中国放送の他、1974年4月から山口放送[7][2]、少し遅れて山陰放送[7][2]、1976年4月から南海放送[7][2]、1977年4月から山陽放送で放送開始[7][2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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