サティヤーグラハ
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サティヤーグラハ([?sat????r??h??]; サンスクリット: ????????? saty?graha)とは、非暴力抵抗運動(英語版)、あるいは市民的抵抗(英語版)のひとつの形であり思想である。「サティヤーグラハ」はマハトマ・ガンディーによってつくられた言葉であり、いかなる外圧にあっても、真理に対する内なる信念を「堅持」し続けようとする自己の不動の精神状態から「自発的(svatantr)」あるいは「内発的(svabh?vik)」に発生した社会的・政治的な「主張」を意味する[1]。その思想は彼のもとで発展した[2]。彼はサティヤーグラハを南アフリカ共和国でのインド人の権利のための闘争の中で、そしてインド独立運動の中で展開した。その後この思想は1954年から1968年にかけてアメリカで盛り上がったアフリカ系アメリカ人公民権運動にて、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアやジェイムズ・ベベル(英語版)の活動にも影響を与え、さらにはその他多く大衆運動に影響を与えた[3][4]。サティヤーグラハを実践するものは「サティヤーグラヒ」と呼ばれる。
サティヤーグラハという語の由来ガンジーの主導する塩の行進(1930年)。サティヤーグラハの一例となった。

「サティヤーグラハ」という語の創造は、1906年に南アフリカの簡易新聞、インディアン・オピニオン(英語版)の行ったコンペティションに端を発する[2]。このコンペティションでは「サダグラハ」という語を思いついたマガンラル・ガンディー(マハートマー・ガーンディーの叔父の孫)が入賞を果たしている。それを受けてマハートマー・ガーンディーは「サダグラハ」をより明確にするために手を加え「サティヤーグラハ」と変更した。

〈サティヤーグラハは、「サティヤ(satya)」と「アーグラハ(?grah(a))」というサンスクリット語・グジャラーティー語の概念から成っている。前者の「サティヤ」とは、ガーンディー曰く、サンスクリット語の「サット(sat;存在、真実在)」を語源に持ち「真理」を意味する〉〈後者の「アーグラハ」は、一般的に「主張」や「懇願」を意味するが、ガーンディー自身は、この語の意味を「堅持/固執していくこと(va?g?rahevu?)」と説明していた。これはガーンディーのサティヤーグラハにおいて、「真理の堅持」という内面世界に向けた決定的観点(ni?caynay)と、「真理の主張」という外面世界に向けた実践的観点(vyavah?rnay)とが表裏を成していたことを示している〉[5]これが非暴力に対するガンジーの理解であり信仰の本質であった。ガンジーの言う「サティヤーグラハ」は単純な「受動的抵抗」(passive resistance)という言葉では表現しきれない、それ以上の意味を持っており、非暴力抵抗運動を実践するうえでの力となった[6]。ガーンディー曰く、.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}「真理」(サティヤ)という言葉は愛(非暴力)を暗示しており、[真理の]堅持・主張(アーグラハ)を生み出す。したがって「真理」は「力」の類義語としての機能を持つ。こういう理由から私はインドの独立運動をサティヤーグラハと呼ぶようになった。サティヤーグラハには真実(正義)と愛・非暴力から生まれる力という意味が込められており、わたしはインドの独立運動という文脈の中で受動的抵抗(passive resistance)という言葉を使うことをやめた。英語での文章からさえしばしば我々は「パッシブ・レジスタンス」という語の使用を避け、「サティヤーグラハ」かあるいはそれに近い英語のフレーズを用いた[7]

ガンジーは1935年9月にサーバンツ・オブ・インディア・ソサイエティ(英語版)のP.K.ラオ(P.K. Rao)に宛てた手紙の中で、ガーンディーの「市民的不服従」というアイデアはヘンリー・デイヴィッド・ソローの著作から取り入れたものではないかという指摘について反論している。私が市民的不服従のアイデアをソローの著作から取り入れたという指摘は間違いだ。南アフリカで私が行った抵抗運動は、私が市民的不服従に関するソローのエッセイを手に入れるよりずっと以前の出来事なのだから。しかしその後私の活動は「受動的抵抗」として知られるようになった。この表現は必ずしも正しくないので、私はグジャラティ(Gujarati)の読者のために「サティヤーグラハ」という言葉を作り出した。しかし私は「市民的不服従」(civil disobedience)という言葉でさえ、インド独立闘争の意味を完全に伝えきれていないことに気が付いた。こういった理由からわたしは「市民抵抗」(civil resistance)という言葉を採用した。そして「非暴力」はいつでも我々の闘争の不可欠な要素であり続けた[8]

ガーンディーはさらに踏み込んで次のように描写している。私はこれを愛の力、または魂の力とも呼んでいる。真理の探究は敵対者に対して危害を加えることを許さない。しかしその敵対者は忍耐と思いやりによって過ちから引き離されるに違いない。サティヤーグラハを応用する中、私は早い段階でこのことに気が付いた。ある者にとって真実だと思われているものは、別の者の目には過ちとして映っているかもしれない。そして忍耐とは自らに課した苦難である。敵対者ではなく、自らに苦難を課すことによって真理を証明すること。すなわちこれが教義となった[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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