サツマイモ
サツマイモの花
分類
界:植物界 Plantae
階級なし:被子植物 Angiosperms
階級なし:真正双子葉類 eudicots
階級なし:キク類 Asterids
目:ナス目 Solanales
科:ヒルガオ科 Convolvulaceae
属:サツマイモ属 Ipomoea
種:サツマイモ I. batatas
学名
Ipomoea batatas (L.) Lam. (1793)[1]
シノニム
Ipomoea batatas (L.) Lam. var. edulis (Thunb.) Kuntze (1891)[2]
和名
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サツマイモ(薩摩芋)
カンショ(甘藷)
英名
Sweet potato
サツマイモ(薩摩芋[3]、学名: Ipomoea batatas)は、ヒルガオ科サツマイモ属の多年生植物。あるいはその食用部分である塊根(養分を蓄えている肥大した根、芋)。別名で、甘藷(かんしょ)、唐芋(からいも)ともよばれる。中南米の原産で、ヨーロッパ、中国、日本などへ広まり、各地で栽培されている。食用される塊根はデンプンやビタミン類を豊富に含み、焼酎原料や飼料にも利用される。また食物繊維が多く、便秘改善にも役立てられる。 和名サツマイモは、江戸時代に琉球王国(現・沖縄県)を経て薩摩国(現・鹿児島県)に伝わり、そこでよく栽培された事に由来する[4][5][6]。サツマイモは「薩摩藩から全国に広まった芋」を意味している[7]。別名として甘藷(かんしょ)があり[3]、中国植物名も甘藷である[8]。甘藷は「甘味のある芋」の意味である[7]。 英語では Sweet potato(スウィート・ポテト)[3]、フランス語では patate douce(パタートゥ・ドゥース)[9]、イタリア語では patata dolce(パタータ・ドルチェ)といい、いずれも「甘いジャガイモ」という意味をもつ[10]。イタリア語では potata americana(パタータ・アメリカーナ:アメリカの芋の意)とも表現され[9]、和名にも「アメリカイモ」の別名もある[1]。英語圏の一部では、サツマイモ「sweet potato」を「Yam」(ヤム)などの別の名前で呼んでいる[11][注釈 1]。ヤム芋を育てていたアフリカ系奴隷が、アメリカ合衆国で作られた水っぽい「ソフトスイートポテト品種」がヤム芋と似ていたことから「ヤム」と呼ぶようになったことに由来する。アメリカなどでは本来のヤム芋は輸入食料品店ぐらいにしか置いていないことから、ヤムと表示されていれば「ラベルに注意書き」が無い限り「ソフト」スイートポテトのことである[12][13]。 地方により、また歴史的にも呼称は変遷し、たとえば日本本土では「唐芋(からいも、とういも)」や「琉球薯(りゅうきゅういも)」、野國總管が沖縄本島に導入した当時は「蕃薯(ばんしょ、はぬす、はんす、はんつ)」と呼ばれていた。他に「とん」「うむ(いもの琉球発音)」等とも呼ばれる。唐芋は「中国から伝わった芋」という意味を含んでいる[7]。中国(唐)から伝来した由来により、特に九州では「唐芋」とも呼ばれる場合が多い[14]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}長崎県の対馬では「孝行いも」と呼ばれている[要出典]。李氏朝鮮は対馬から伝わったが、その際に「孝行いも」が変化して、韓国語ではコグマ(???)と言う[要出典]。 各地で栽培されるつる性の多年草[8]。高温や乾燥に強く、痩せ地でも良く育つ丈夫な野菜で、芋(塊根)などを食用にする[15]。葉は、ヨウサイやアサガオに外見が似ている[10]。花はピンク色でアサガオに似るが、高温短日性であるため、日本の本州など温帯地域では開花しにくく、日長要因だけではなく何らかのストレスによってまれに開花する程度である[10]。また、花の数が少なく受粉しにくい上に、受粉後の寒さで枯れてしまうことが多いため、品種改良では種子を効率よく採るためにアサガオなど数種類の近縁植物に接木して、台木から送られる養分や植物ホルモン等の働きによって開花を促進する技術が使われる。デンプンを多く含む芋は、根が肥大したもの(塊根)で、茎が肥大した塊茎を持つジャガイモと相違がみられる[10]。 1955年(昭和30年)に西山市三がメキシコで祖先に当たる二倍体の野生種を見つけ、イポメア・トリフィーダ(Ipomoea trifida)と名付けた。後に他の学者達によって中南米が原産地とされた。若い葉と茎を利用する専用の品種もあり、主食や野菜として食用にされる[要出典]。 芋の皮の色は紅色や赤紫色の他、黄色や白色がある[3]。芋の中身は主に白色から黄色で、中には橙色や紫色になる品種もある[3]。特に全体が紫で、芋の中身がアントシアニンに由来して紫色のサツマイモを、紫芋(むらさきいも)と呼んでいる[16]。 原産地は中央アメリカのメキシコ中央部からグアテマラにかけてとする説が有力である[3][7]。紀元前3000年以前から、メキシコ地域で栽培化されていたとみられている[7]。その後は南米のペルーに伝わり、古代ペルーの遺跡からサツマイモの葉や花、根を描いた土器や綿布が発見されていることから、重要作物になっていったと考えられている[7]。 15世紀末にクリストファー・コロンブスが新大陸を発見し、スペインのイザベル女王へ献上したこと契機に、アメリカ大陸からヨーロッパへと広まった[3][7]。しかし、もともと熱帯作物であったため、ヨーロッパではジャガイモのように普及することはなかった[7]。イギリスではエリザベス朝の頃に、その甘さから好意的に受け入れられた。イギリス人はこの芋をペルーでの塊茎を意味する言葉 batata から patate と呼んだ。18世紀末に甘くないジャガイモ(potato)が一般化するにつれ、サツマイモは sweet potatoと呼ばれるようになった[17]。 大航海時代の1498年に、コロンブスがベネズエラを訪れて以降、1519年にはポルトガルのフェルディナンド・マゼランがスペイン船隊を率いて南端のマゼラン海峡を発見。16世紀に頻繁に南アメリカ大陸にやってきたスペイン人あるいはポルトガル人により東南アジアに導入された[要出典]。ルソン島(フィリピン)から中国を経て、17世紀の初め頃に琉球、九州へと伝わった[要出典]。 ニュージーランドへは10世紀頃に伝播し、「クマラ」(kumara) の名称で広く消費されている[要出典]。西洋人の来航前に既にポリネシア域内では広く栽培されていた[要出典]。 日本へは、17世紀初めに中国から琉球にもたらされ、やがて薩摩へ伝わり、九州南部で栽培されたのが「薩摩の芋」として、全国へ広まり定着した[3][7]。なお、1597年に宮古島に伝わったとの説もあるが、年代に疑義がある上、宮古島から他の地域へは伝播しなかった。西日本の大飢饉の折に、鹿児島で餓死者を出さなかったことから、凶作の年でも収穫が見込める救荒作物として重要視されるようになり[7][18]、江戸時代に飢饉を救う救荒作物として栽培が奨励された[10]。飢饉対策に腐心していた江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の命によって、1735年、蘭学者の青木昆陽が薩摩から江戸に種芋を取り寄せて、小石川御薬園(現:小石川植物園)などでサツマイモを試作し、これをきっかけに東日本各地でも栽培が広がった[7][18]。
名称
特徴
歴史
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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