サッポロ生ビール黒ラベル
基本情報
種類ビール
度数5%
発泡有
主原料麦芽、米、ホップ、コーン、スターチ
原産国日本
製造元サッポロビール株式会社
詳細情報
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サッポロ生ビール黒ラベル(サッポロなまビールくろラベル)は、サッポロビール株式会社が製造・販売する生ビール。ヱビスビールと並ぶ同社の主力商品である。本項では、前身商品であるサッポロびん生についてもあわせて述べる。目次 戦後の日本において、最初に瓶入り生ビールを発売したのはサッポロビールである[1]。黒ラベルの前身となる「サッポロ壜生ビール」が登場したのは1957年(昭和32年)7月で、当初は東京・横浜・名古屋・福岡およびその周辺都市で発売。翌1958年3月からは北海道でも発売開始した。容器は、褐色の瓶にアイボリーホワイトのラベルを直接プリントした「ACL瓶」と呼ばれるものであった。北海道外では漸減傾向をたどったが、冬でも暖房が効いている北海道では好調に売れ続けた。1969年にはACL瓶のデザインを踏襲した紙ラベルに変更、1972年にはラベルの材質にアルミ箔が採用され、1973年にはラベルデザインが変更された。この時のデザインが、のちの黒ラベルのモデルとなっている[2]。 昭和40年代の日本のビールは熱処理ビールが主流であり、アサヒビール(以下「アサヒ」)・サッポロビール(以下「サッポロ」)・サントリーの各社は何度か瓶製品の生ビールを発売したが、大幅な市場拡大には至らなかった[3]。天候不順に見舞われた1976年は特にサッポロの販売量の落ち込みが大きく、市場占有率の拡大を目指した同社は、北海道地区で販売されていた「サッポロ壜生ビール」を「サッポロびん生」とリブランドし、1977年4月より全国販売開始した。東京・関東・新潟・横浜の各支店では4月21日、それ以外の支店では先行して4月1日より発売を開始したが、5月までの実績は計画の2.6倍と、予想を大幅に上回るものであった。初年度である1977年度は800万箱の売り上げを達成。これは当初計画の3.3倍に相当し、サッポロの市場占有率は1.2%上昇し19.6%まで回復した[4]。 サッポロが他社に先駆けて生ビールを推進できた蔭には、昭和40年代から50年代にかけて導入されたセラミックフィルターがあった。ケイ酸アルミニウムを円筒形に焼成したろ過筒をステンレス製タンク内に直列配置したものであり、うま味成分を吸着することなく無菌ろ過し、酵母を除去することが可能となった。大阪工場で1967年からの試験使用ののち1969年より本格稼働。1970年には札幌第2工場と目黒工場でも稼働開始した。さらに、びん生の販売拡大に伴い順次各工場に導入された[5]。 競合他社では、アサヒは「本生」に続き飲食店向けの7リットルサイズの「生ビールミニ樽」を発売。「純生」を販売するサントリーを含めた3社は積極的な広告展開をし、「生ビール戦争」とも呼ばれた。1976年には市場流通量のうち9%程度であった生ビールの比率(生化率)は、1980年には21%に達した。熱処理ビールであるキリンラガービール[6]だけで通してきたキリンビールも、1981年には「ビア樽2リットル」「ビア樽3リットル」の小型樽製品で生ビールに参入した[3]。 1987年3月に登場したアサヒスーパードライは日本のビール市場に大きな変化をもたらした。サッポロは、「若者層は苦みの少ないすっきりと飲みやすいビールを好む傾向がある」「生ビールの普及により、“生=特別なビール”という優位性が薄らいだ」「発売後10年が経過し、パッケージデザインが陳腐化している」との分析から、サッポロびん生をリニューアルし「サッポロドラフト」を発売する方針を決定した。1989年2月に関東・静岡地区を皮切りにサッポロドラフトを発売したところ、びん生のアンコールの要望が同社営業部門に多く寄せられ、飲食店や一般家庭ではサッポロから他社製品に切り替える動きが出てきた。広告上の呼称を「サッポロ<生>ドラフト」とし、品質上の改良点を周知する措置を採ったが、特に40歳、50歳の壮年層からのびん生復活の要望が止むことはなかった。1989年9月、サッポロドラフトを継続する一方、びん生を復活して、両ブランドを併行して販売することを決定。この時に、消費者から愛称として呼ばれていた“黒ラベル”を正式に取り入れ、「サッポロ<生>黒ラベル」を正式名称とした(この頃からサッポロドラフトの広告には黒ラベルに対して“金ラベル”の呼称が書かれたものもあった)。瓶のラベルの形状は、びん生の楕円形からサッポロドラフトに合わせて六角形に改められた。復活翌年の1990年には、黒ラベルの販売実績はリニューアル前の1988年のびん生の実績を上回った。1991年10月には、サッポロドラフトの終売が発表された[7]。 1997年1月には、黒ラベル復活後では初のフルリニューアルが行われ、より生ビールらしさを強調した味わいに調整されたほか、後述のようにラベルデザインも一新され、同年より定温輸送が開始されている[8]。1999年にはアルコール度数を4.5%から現在の5%に変更している。 2006年年初製造分に麦芽・ホップの協働契約栽培化が完了している[9]。2011年3月上旬製造分よりビールの風味を劣化させる脂質酸化酵素(LOX-1)を持たない大麦から生まれた『旨さ長持ち麦芽』の使用を開始[10]し、2015年2月中旬製造分[11]と2016年2月下旬製造分[12]より『旨さ長持ち麦芽』を増量している。さらに2019年1月下旬製造分より製造方法をさらに工夫し、より「白く美しい泡」を実現している[13]。 1990年代後半からは売上は苦戦を強いられたが、『旨さ長持ち麦芽』の採用による品質向上や飲食店でのブランド露出が功を奏し、2015年には21年ぶりに売上高の対前年比が増加に転じた[14]。2015年の販売数量は大びん20本を1箱と換算して、1618万箱。2016年の販売数量は、12月28日時点でこれを上回った[15]。2017年の販売数量は、12月29日時点でこれを上回った[16]。2018年の販売数量は、12月30日時点でこれを上回った[17]。サッポロの工場のある千葉県船橋市や静岡県焼津市では、ふるさと納税の返礼品として採用されている[18][19]。 1977年の「サッポロびん生」登場時のコピーは『北海道で好評の、あの生。新登場』。1978年の新聞広告では『春夏秋冬・うまさ365日』と、夏だけの飲み物ではなく通年商品であることをアピールした[20]。1986年には、当時アメリカに輸出される日本製ビールのうち、びん生が圧倒的であったことから『世界が「うまい」と言い始めた。』[21]。
1 歴史
2 広告
3 容器
4 日本国外展開
4.1 2019年現在の生産国
4.2 過去の生産国
5 脚注
6 参考文献
7 外部リンク
歴史
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