株式会社サッポロライオン
SAPPORO LION ,Inc.銀座7丁目の銀座ライオンビル
種類株式会社
市場情報東証2部 8240
株式会社サッポロライオンは、サッポロホールディングス傘下の外食事業者である。ビアホール「銀座ライオン」や「ヱビスバー」などを運営する。 創業は1899年(明治32年)8月4日で、東京市京橋区南金六町五番地(後の銀座8丁目)にサッポロビール(法人としてはサッポロホールディングス)の前身である日本麦酒醸造が日本初の「恵比壽ビヤホール」をオープンしたことに由来する[3]。 法人としては1936年(昭和11年)11月16日に大日本麦酒から外食部門が独立した共栄 株式会社が前身[3]。創立日は第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)9月1日、親会社である大日本麦酒の分割に伴い、共栄も2つに分割されて日本共栄 株式会社(もう一つは朝日共栄で、後の「アサヒフードクリエイト」)が設立された日としている[3]。社名は日本共栄(1949年から1966年)、サッポロ共栄(1966年から1979年)、サッポロライオン(1979年以降)と変遷している[3]。 社名と屋号の由来となる「ライオン」は、1911年(明治44年)8月10日に銀座尾張町角(後の銀座4丁目交差点)に築地精養軒が開店した「カフェー・ライオン」で、昭和6年(1931年)6月に大日本麦酒(サッポロビールの前身)に経営が移管されて同年8月30日に「ライオンヱビスビヤホール」となった[3]。後に同地にはサッポロ銀座ビル(1970年から2014年)、銀座プレイス(2016年以降)が建設され、一貫して銀座ライオン(ビヤホールライオン)が営業を行っている。 第二次世界大戦後、日本麦酒(→「サッポロビール」)の傘下。サッポロビールがビールブランドを「ニッポンビール」と「サッポロビール」の2種類から「サッポロビール」に統合した際には、「ニッポンビアホール」の店名で運営していた店舗は「サッポロビアホール」に変更した[4]。
概要
沿革
1899年(明治32年)8月4日 - 東京市京橋区南金六町五番地に日本麦酒醸造により「恵比壽ビヤホール」が開店。創業日。[3]
1906年(明治39年) - 大日本麦酒株式会社が設立。[3]
1911年(明治44年)8月10日 - 銀座尾張町角に築地精養軒により「カフェー・ライオンが開店。「ライオン」の由来となる店舗の創業。[3]
1918年(大正7年)7月5日 - 京橋区竹川町に「銀座ビヤホール」が開店。[3]
1931年(昭和6年)6月 - 築地精養軒から大日本麦酒に「カフェー・ライオン」が経営移管され直営化。[5]
1934年(昭和9年)4月8日 - 関東大震災で焼失した銀座ビヤホールの跡地に菅原栄蔵設計による大日本麦酒本社ビルが竣工。同ビルのテナントとして銀座ビヤホール(後の「ビヤホールライオン銀座七丁目店」)が営業。[3]
1936年(昭和11年)11月16日 - 大日本麦酒から外食部門が子会社として独立し、共栄株式会社が設立。[3]