サッポロビール株式会社
Sapporo Breweries Limited
本社ビル(恵比寿ガーデンプレイス内)
種類株式会社
市場情報非上場
略称サッポロ
本社所在地 日本[1]
東京本社〒150-8522
東京都渋谷区恵比寿4丁目20-1
恵比寿ガーデンプレイス
北海道本部(北海道本社)〒060-8606
札幌市中央区北1条東4丁目8-1
サッポロファクトリーフロンティア館3F
本店所在地〒150-8522
東京都渋谷区恵比寿4丁目20-1
恵比寿ガーデンプレイス
設立2003年(平成15年)7月1日
(創業:1876年(明治9年))
業種食料品
法人番号4011001040690
事業内容ビール・発泡酒・その他の酒類の製造・販売、輸入ビール・ワイン・洋酒の販売、他
代表者高島英也(代表取締役社長)
資本金100億円
売上高2637億1300万円
(2023年12月期)[2]
営業利益▲4100万円
(2023年12月期)[2]
経常利益22億5400万円
(2023年12月期)[2]
純利益31億0900万円
(2023年12月期)[2]
総資産2678億1700万円
(2023年12月期)[2]
決算期12月31日
主要株主サッポロホールディングス(株):100%
外部リンクwww.sapporobeer.jp
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サッポロビール株式会社(英語: Sapporo Breweries Limited)は、日本の大手ビールメーカーである。1876年(明治9年)に、政府の開拓使が北海道札幌市に札幌麦酒醸造所を設立し、そこで作られた「冷製札幌ビール」が社名の由来とされている。
1949年(昭和24年)9月1日に、過度経済力集中排除法及び企業再建整備法の適用を受けた大日本麦酒株式会社の決定整備計画に基づき『日本麦酒株式会社』として設立、1964年(昭和39年)1月にサッポロビール株式会社に商号変更した。
グループの持株会社体制へ移行に伴い2003年(平成15年)7月1日にサッポロホールディングス株式会社へ商号を変更し、現業一切を同日設立された新設会社「サッポロビール株式会社」へ分割譲渡し、純粋持株会社に移行した。本項は2003年(平成15年)6月30日までの旧会社と同年7月1日以降の現行会社について述べる。 1876年(明治9年)9月に、開拓次官の黒田清隆の指揮で村橋久成や中川清兵衛を始めとする有志が、札幌に開拓使麦酒醸造所を設立し、翌年に「冷製麦酒」の製造を開始する。 1886年(明治19年)に大倉財閥の創始者・大倉喜八郎率いる大倉組商会が官立醸造所の払下を受け、1887年(明治20年)に大倉と渋沢財閥の創始者渋沢栄一、浅野財閥の創始者浅野総一郎らが札幌麦酒株式会社を設立し、同社が製造販売を行う。 1906年(明治39年)に、三井物産系列でヱビスビールを製造して販売する日本麦酒醸造、アサヒビールを製造して販売する大阪麦酒、と合併して大日本麦酒となる。この時、静岡県東部・長野県・新潟県以東でサッポロビールは存続する。 1933年(昭和8年)に根津財閥の創始者根津嘉一郎がユニオンビールと三ツ矢サイダーを製造して販売する日本麦酒鑛泉を、1943年(昭和18年)に、旧鈴木商店系で1939年に帝国麦酒から社名変更してサクラビールを製造して販売する櫻麦酒をそれぞれ併合し、大日本麦酒製品の市場占有率は7割以上となった。 1943年(昭和18年)にビールの商標が禁止されてサッポロビールのブランドは一時消滅する。1949年(昭和24年)に、過度経済力集中排除法に基づいて大日本麦酒が朝日麦酒と日本麦酒に分割された際、日本麦酒はニッポンビールのブランドを採用した。 ニッポンビールの苦戦と共に愛飲家からサッポロビール復活が望まれ、1956年(昭和31年)にまず北海道で復活して1957年(昭和32年)から全国でサッポロビールを発売し、1964年(昭和39年)に会社の商号を「サッポロビール株式会社」とする。サッポロビールの商標復活に、ビール業界で数少ない醸造技術者出身の社長である松山茂助が尽力した。 ビール類の市場占有率は、会社分割後の日本麦酒が1949年に38.7パーセントで1位[3]となり1952年まで単独1位、1953年は原料配給の関係で日本・麒麟・朝日は3社同率[3][4]、1954年は1位から麒麟、朝日の順で日本麦酒は第3位[3]、1961年に2位となり以降商号変更後も2位を継続して1970年代の生ビール競争も善戦したが、1989年はアサヒが2位でサッポロは3位[3]、2008年はサントリーが3位でサッポロは4位、2009年も4位であった[5]。当社が開拓した第三のビール分野もキリンビールに次ぐ2位で、2008年・2009年上半期ブランド別ビール類販売数量順位はビールの黒ラベルが唯一ランクインした[6]。サッポログループ全体の2006年度連結決算は、恵比寿ガーデンプレイスなど不動産事業の利益は37億円で酒類事業の経常利益9億円を圧倒し、後述のスティール・パートナーズの株取得を誘引した。川湯温泉駅のホーム柱の駅名表示板下に掲出された広告 来歴から北海道内の知名度は非常に高く、道内の公共交通施設に「本場の味:サッポロビール」などの広告掲出が多い。道内の飲食店は「ビール」の注文にサッポロビールを提供する時代が長かったが、平成になってからは道内においても他社のビールが多く販売され、「北海道は、サッポロビール。」の企業イメージで道内限定のキャンペーンを行うなどして北海道市場の確保に尽力している。 大日本麦酒が分割された際に東日本を主要地域とする日本麦酒として発足したことから、大阪など関西や西日本地区の販売は高くなく、吉本興業と「よーし、もっと黒ラベル」キャンペーンを催すなどしている。 サッポロビールのラベルに描かれている星は北極星(ポラリス)を表す前身の開拓使麦酒醸造所を保有していた北海道開拓使の徽章で、同社の伝統である。
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