サッフォー
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「サッフォー」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「サッフォー (曖昧さ回避)」をご覧ください。

サッポー
サッポーだと推定されているもので、手前に「エレソス(英語版)のサッポー」と書かれている。古代ギリシアの像を古代ローマ時代に模刻したもの。(紀元前5世紀初期)
誕生紀元前7世紀
レスボス島
死没紀元前6世紀
職業詩人
活動期間古代ギリシア
ジャンル抒情詩
ウィキポータル 文学
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サッポー(古代ギリシア語アッティカ方言 (en) : Σαπφ? / Sapph?、紀元前7世紀末 ? 紀元前6世紀初)は、古代ギリシアの女性詩人である。

出身地レスボス島で用いられたアイオリス方言 (en) ではプサッパ(Ψ?πφα / Psappha)あるいはプサッポー(Ψ?πφω / Psappho)と呼ばれる[1]:134。名はサッフォー(: Sappho)とも表記される。
生涯『サッポー』(1877年)シャルル・メンギン(1853年-1933年)、ある伝統的な説では、サッポーはレウカディアンの崖から飛び降りて自殺したという[2]

サッポーは生前から詩人として著名であり、シケリア島シュラクサイに亡命の時期に彫像が立てられたという。またプラトーンの作と伝えられる詩の中では彼女を「十番目のムーサ」とも呼んでいる[1]:130-131。

歴史学上ではっきりしているのは、サッポーはレスボス島で生まれたが、家族が執政のピッタコスと対立したために10年間ほどシケリア島に亡命し、その後、レスボス島に戻ったということのみである[1]:143。サッポーに関する信頼できる文献は少なく、その生涯ははっきりしない。紀元前630年から紀元前612年の間のいずれかの年に生まれ、紀元前570年頃に亡くなったと考えられている。

出身地については通常島西部のエレソス(英語版)とされるが、ミュティレーネーとされることもある。ラリュコス、カラクソス、エウリュギオスという3人の兄弟があったと伝えられ、うちカラクソスとラリュコスの2人は2014年に新たに発見されたサッポーの詩の断片 (Brothers Poem) で言及されている。ヘロドトス歴史』2.135によれば、カラクソスはエジプトで大金を払って遊女ロドピスを身請けし、サッポーの詩の中で批判された[3]ストラボン地理誌』17巻によるとカラクソスはレスボス島のワインをエジプトのナウクラティスに運んで売る商人で、サッポーの詩の中でドーリカー(Δωρ?χα)と呼ばれている遊女を愛したする。ドーリカーの名は現存のサッポーの詩(5番)にも見える[1]:141-142。

スーダ辞典には「富裕な商人であるアンドロス島のケルキューラースと結婚して、ひとりの娘を生んだ」と記されている[4]。しかし、ケルキューラースという名前は(現存する)サッポーの詩に全く登場しない上、19世紀半ばのウィリアム・ミュアー(英語版)によれば、アンドロス島のケルキューラースが「男の陰嚢」を意味する古代ギリシア語とよく似た音になるため、この伝承は歴史的事実でなく、喜劇作家による創作と考えられている[5]

ただし結婚したことは確かで、クレイスという娘があったことはサッポーの詩(123番)の中に見えている[1]:138。

サッポーは、自分の身のまわりにいた少女たちに対する愛の詩を多く残した[1]:147。そのため、サッポーと同性愛を結びつける指摘は紀元前7世紀ごろから存在した。

彼女によって選ばれた若い娘しか入れないある種の学校をサッポーがレスボス島に作ったといわれていたが、20世紀なかばのデニス・ペイジ (Denys Page) はこの説を否定した[1]:148。また美少年パオーンとの悲恋の相手とする伝説も伝えられた[6]「サッポー」エドゥアール=アンリ・アヴリル(1843 - 1928)、サッポーはこのように性愛画の題材となった

同じレスボス島出身の詩人アルカイオスとは詩の交換などで交遊があった。サッポー自身はアルカイオスと異なり、詩作において政治と関わることはせず、主観の方向は内的情熱に傾倒し、亡命の際以外、政治への関与は避けた[7]
作品・作風

サッポーは何十もの異なる韻律によって詩を書いたが、スタンザ形式になっているものが多く、とくに1つのスタンザが4行からなる四行詩が多い。11音節の詩行が3行と5音節の1行からなる形式はサッポー詩体として知られる。

サッポーの詩は大部分が滅び、他の作品の中に引用されるなどして断片が残るのみである。19世紀末以降に彼女の詩の断片を記したパピルスが発見され、現在でも新たに発見されることがある。2004年にはケルン・パピルスから老いに関するサッポーの詩の新たな断片 (Tithonus poem) が発見され[8]、2014年にも兄弟について記した新しい詩の断片が発見された[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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