この項目では、男子代表について説明しています。女子代表については「サッカー大韓民国女子代表」をご覧ください。
サッカー大韓民国代表
国または地域 大韓民国
協会大韓サッカー協会
FIFAコードKOR
愛称アジアの虎、太極戦士
監督 黄善洪
キャプテン孫興ミン
最多出場選手車範根
洪明甫(136試合)
最多得点選手車範根(58[1]得点)
サッカー大韓民国代表(サッカーだいかんみんこくだいひょう、朝: ???? ?? ?????)は、大韓サッカー協会(KFA)によって構成される大韓民国(韓国)のサッカーのナショナルチームである。アジアサッカー連盟(AFC)および東アジアサッカー連盟(EAFF)所属。 チームカラーは赤で、愛称は協会のシンボルである虎にちなんだ「アジアの虎」???? ??? (アシアエ・ホランイ)、あるいは韓国国旗の別名「太極旗(テグッキ、???)」に由来する「太極戦士(テグッ・ジョンサ、????)」である。また代表サポーターは「Red Devils」という愛称で呼ばれ、正式にこの集団は「????(プルグンアンマ:赤い悪魔)」と命名された。 FIFAワールドカップ出場11回はアジア地区で最多である。なお、韓国代表のユニフォームは1996年からは大手スポーツメーカーのナイキが手掛けている。 FIFAワールドカップには、当時の李承晩大統領が日本代表選手の韓国入国を拒否したため2試合とも日本で行われた1954年スイス大会予選に1勝1分で勝利し初出場したが、スイスまでの移動に列車と船で日本を経由、さらにはエールフランス機からアメリカ合衆国空軍機まで乗り継ぎ1週間を要した上、試合開始十数時間前に到着するという悪条件だった上、当時「マジック・マジャール」と呼ばれ3年間で32試合無敗を誇っていたハンガリーと初戦を戦うことになり、FIFAワールドカップ史上最悪記録となる0-9の大差で大敗、続くトルコとの試合でも0-7で敗れた。 2度目の出場は1986 FIFAワールドカップ(32年ぶり)であり、1次リーグでアルゼンチン、イタリアに敗れたもののブルガリアに引き分けて初の「勝点1」を獲得した。 1990 FIFAワールドカップでは3連敗、1994 FIFAワールドカップでは2分1敗、1998 FIFAワールドカップでは1分2敗でいずれもグループリーグで敗退した。 2002 FIFAワールドカップではオランダ人のフース・ヒディンクが監督を務め、初戦のポーランド戦に2-0で勝利した(W杯初勝利)。2戦目のアメリカ戦では前半、アメリカに先制されるが78分に安貞桓が同点ゴールを決め、1-1の引き分けにもつれ込んだ。最終戦のポルトガル戦では70分、朴智星がゴールを決めて1-0で勝利を収め、グループリーグを2勝1分の首位で突破した。決勝トーナメント1回戦では強豪イタリアと対戦、延長戦の末に安貞恒のゴールデンゴールでこれを下し、続く2回戦はスペインと対戦してPK戦の末に破った。アジア勢として初めてのベスト4に進出するも、準決勝は強豪のドイツの前に惜敗を喫した。3位決定戦でもトルコに敗れたものの、過去最高の4位となった。ところがイタリア戦、スペイン戦では誤審が取り沙汰され、特に当事者のイタリア、スペインにおいては韓国に対する一種の陰謀論も起こった。当時の主審は後にテレビ番組内で誤審だったと認めている。FIFAはこの件を調査し、不正はないという結論を出している(詳細については、2002 FIFAワールドカップの項目を参照されたい。)。この大会で韓国は、チームとしては大会に参加したチームの中で最もファンを魅了したとされるチームに贈られるエンターテイニングチーム賞を受賞し、個人では洪明甫と柳想鐵がオールスターチームの先発メンバーに選出された。なお、洪明甫が大会最優秀選手を決める記者投票でオリバー・カーン、ロナウドに次いで3位となり、ブロンズボールを受賞した。 2006 FIFAワールドカップでは初戦のトーゴ戦に2-1で逆転勝利し、自国大会以外でのワールドカップ初勝利を挙げた。2戦目のフランス戦では先制されるも、後半で同点に追い付き何とか引き分けに持ち込んだ。
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