この項目では、男子代表について説明しています。女子代表については「サッカー中華人民共和国女子代表」をご覧ください。
この項目では、サッカー中国代表について説明しています。各地域の代表については「サッカーチャイニーズタイペイ代表」、「サッカー香港代表」、「サッカーマカオ代表」をご覧ください。
サッカー中華人民共和国代表
国または地域 中華人民共和国
協会中国サッカー協会
FIFAコードCHN
愛称国足、龍之隊
監督 ブランコ・イバンコビッチ
最多出場選手李?峰(112試合)
最多得点選手?海東(39得点)
ホームカラーアウェイカラー
初の国際試合
フィリピン 2?1 中国
サッカー中華人民共和国代表(サッカーちゅうかじんみんきょうわこくだいひょう)は、中国サッカー協会(CFA)によって構成される、中華人民共和国のサッカーのナショナルチームである。
アジアサッカー連盟(AFC)および東アジアサッカー連盟(EAFF)に所属。ホームスタジアムは首都・北京にある北京工人体育場。 1913年に創設された極東選手権の第1回大会に参加し、フィリピン戦で初の国際試合を経験した。なお、極東選手権競技大会では10大会中9大会で優勝を果たした。FIFAワールドカップには1958年大会で初めて予選に参加したが、インドネシア代表に敗退。その後1978年大会まで不参加であり、1982年大会から再び予選に参加した。 1982年大会のアジア・オセアニア予選では、日本や北朝鮮を下した後、最終予選でニュージーランドと勝ち点・得失点差で同率2位となり、最終予選プレーオフでニュージーランドと対戦したものの1-2で敗れた。1986年大会のアジア予選ではホームで香港に敗れ1次予選グループ4A2位で予選敗退。1990年大会のアジア予選では、最終予選に進出したものの、カタール戦とUAE戦で共に1-0から残り数分で逆転負けするなど4位に終わり予選敗退。1994年大会のアジア予選では1次予選グループA2位で予選敗退。1998年大会のアジア予選でも、最終予選に進出したもののグループA3位で予選敗退。このように、ワールドカップ出場権を逃す状況が続いた。 2000年にレバノンで開催されたAFCアジアカップ2000では歴代最高タイとなる4位となり、ワールドカップ2002年大会のアジア予選では、開催国として日本と韓国が予選を免除され、当面のライバルは中東に絞られることになった。アジア最終予選のグループ分けではサウジアラビア、イラン、イラクなどが全てグループAへと回り、中国はUAE、ウズベキスタン、オマーン、カタールなどと同じグループBとなった。そしてボラ・ミルティノビッチに率いられた中国代表は、アジア最終予選グループBを6勝1敗1分のトップで通過し、初の本大会出場権を獲得した。その本大会では1次リーグ・グループCに入り、ブラジル、コスタリカ、トルコと対戦したが、3戦無得点で全敗しグループ最下位で敗退となった。
歴史
黎明期
初のW杯出場