この項目では、男子代表について説明しています。女子代表については「サッカースコットランド女子代表」をご覧ください。
サッカースコットランド代表
国または地域 スコットランド
協会スコットランドサッカー協会
愛称Tartan Army
監督 スティーブ・クラーク[1]
最多出場選手ケニー・ダルグリッシュ(102試合)
最多得点選手ケニー・ダルグリッシュ
デニス・ロー(30得点)
サッカースコットランド代表(サッカースコットランドだいひょう、英: Scotland national football team)は、スコットランドサッカー協会(SFA)によって構成される、スコットランドのサッカーのナショナルチームである。ホームスタジアムは、首都・グラスゴーにあるハムデン・パーク。 1870年3月5日、ロンドンのケニントン・オーヴァルで「非公式」ながら、世界初の国際試合がイングランド代表とスコットランドの間で行われ、1-1の引き分けに終わった。その後、この試合も含め両者は5回に渡り非公式国際試合を行った(1870年の11月19日、ケニントン・オーヴァルでイングランドが1-0で勝利。1871年2月25日、同地区で1-1引き分け。1871年11月18日、ロンドンでイングランドが2-1で勝利、1872年2月24日、ロンドンでイングランドが1-0の勝利)。 この一連の非公式国際試合は、それらの試合を企画したイングランドサッカー協会 (FA) 第4代事務局長チャールズ・ウィリアム・オールコックの名前にちなんで、『オールコックの国際試合』と呼ばれている。そして、1872年11月30日に、グラスゴーのパーティック地区のハミルトン・クレッセント・グラウンドで、世界で最初の「公式」国際試合がイングランドとスコットランドの間で実施された。スコアは0-0の引き分けだった。 このように、イングランド代表とともに世界初の公式および非公式の国際試合を戦った歴史あるチームである。なお、FIFAワールドカップには1950年のブラジルW杯で出場権を獲得したものの辞退、1954年のスイスW杯に初出場して以来、8回出場しているものの、全て1次リーグ敗退という結果に終わっている。代表チームサポーターの愛称はタータン・アーミー (Tartan Army) と呼ばれている。 1863年にイングランドで近代サッカーが誕生した時から、イングランドはロングボール戦術だった。イングランド代表に勝てなかったスコットランド代表は、1867年にショートパス戦術を考案。スコットランドはショートパス戦法確立後、1872年から1882年の10年間で、イングランドに対し「7勝2敗2分け 得点39失点31 試合平均得点3.55 平均失点1.91」と大きく勝ち越した。この2つの戦法が近代サッカー伝来と同時か、もしくは時を経て各国に伝播されていき、各国のサッカー戦術の源流となった。なお、日本で現在主流のショートパスも、スコットランド人からサッカーを学んだビルマ(現ミャンマー)人留学生チョウ・ディンの、1923年(大正12年)からの全国巡回指導および指導書出版によりもたらされたものである[2]。 FIFAワールドカップでは初めて本大会に出場した1954年大会で、2試合でオーストリアとウルグアイにいずれも敗れて敗退した。3度目の出場となった1974年大会で、第一戦のザイール戦でW杯初勝利を挙げると、続くブラジル戦とユーゴスラビア戦でも両方とも引き分けで1勝2分とするが、得失点差で1届かず敗退した。そこからブラジル、ドイツ、イタリア、アルゼンチン以外で唯一1990年大会まで連続出場を果たした。1986年大会は最初に2連敗するが、第三戦で勝てば自力で16強入りとなるウルグアイ戦を迎える。
歴史
19世紀
20世紀