「サッカーイングランド代表」とは異なります。
サッカーイギリス代表
国または地域 イギリス
協会なし
愛称なし
監督空席
最多出場選手アーロン・ラムジー(5試合)
最多得点選手ウィルフ・マニオン
サッカーイギリス代表(サッカーイギリスだいひょう、英: United Kingdom national football team)は、サッカーのイギリス本土4協会(イングランドサッカー協会(FA)、スコットランドサッカー協会(SFA)、北アイルランドサッカー協会(IFA)、ウェールズサッカー協会(FAW))の統一チーム。通常は存在しない。この項では主に、男子チームを取り上げる。女子チームは、イギリス女子代表で取り上げる。 イギリスは、国際サッカー連盟 (FIFA) からイギリス本土4協会(イングランドサッカー協会(FA)、スコットランドサッカー協会(SFA)、北アイルランドサッカー協会(IFA)、ウェールズサッカー協会(FAW))およびイギリス海外領土6協会(モントセラトサッカー協会、イギリス領ヴァージン諸島サッカー協会、ケイマン諸島サッカー協会、タークス・カイコス諸島サッカー協会、バミューダ諸島サッカー協会、アンギラサッカー協会)の各代表をそれぞれ認可され、FIFAワールドカップ本大会および各大陸予選やUEFA欧州選手権等の各大陸選手権本大会および予選、その他の国際大会に参加している。そのため、イギリス代表は親善試合を行ったことがあるが、FIFA主催の国際大会への出場はこれまでない。 なお、ワールドカップでの国内対決としては2022年カタール大会でイングランドとウェールズが同じグループで対戦し、イングランドが勝利しベスト8まで進出したがウェールズはグループリーグで敗退した。 夏季オリンピックのサッカー競技を主催する国際オリンピック委員会(IOC)は、イギリス本土においてはイギリスオリンピック委員会(BOA)のみ認可しているので、五輪サッカーには、イギリス本土4協会それぞれで出場することは出来ない。なお、国際オリンピック委員会 (IOC) はイギリス海外領土の内、バミューダ諸島、イギリス領ヴァージン諸島、ケイマン諸島の3地域の国内オリンピック委員会を認可している。イギリス本土では、グレートブリテンオリンピック代表チームとして過去11回出場しているが(非公式種目時代も合わせると12回)、中身は、イングランドアマチュア代表単独チームであった。自国開催となる2012年ロンドン五輪(男子はU-23、女子はフル代表)で紆余曲折の末、イギリス本土4協会統一チーム結成が決まったが、ロンドン五輪に出場する本登録の選手18名中、イングランドから13名、ウェールズから5名選ばれ、スコットランドと北アイルランドからは選ばれなかった[1]。なお、同大会に出場するイギリス女子代表は、男子とは異なり、イングランドから16名、スコットランドから2名選ばれ、ウェールズと北アイルランドからは選ばれなかった[2]。ロンドンオリンピックは、イギリス男子代表12回目の出場で、イギリス女子代表は初出場となる。イングランドサッカー協会(FA)は2015年3月に、2016年リオデジャネイロ五輪(男子はU-23、女子はフル代表)でのイギリス本土4協会統一チーム再結成をイギリス本土3協会に打診したが、FA以外の3協会に拒否された為、同年3月30日に断念したことを3協会に伝えた[3]。 世界初のフットボール協会であるザ・フットボール・アソシエーション (FA) が1863年に結成された時、イングランドのみを対象とするのかイギリス全土か、あるいは全世界なのか、その地理的権限の範囲は明確でなかった。この疑問は1873年にスコティッシュ・フットボール・アソシエーション (SFA) が設立された時に解決された。世界で3番目のフットボール協会は1876年設立のフットボール・アソシエーション・オブ・ウェールズ、4番目は1880年設立のアイリッシュ・フットボール・アソシエーション (IFA) である。 ゆえに、フットボールはイギリスのカントリーそれぞれの協会とナショナルチームで発展し、「イギリスサッカー協会」は結成されることはなかった。世界初の国際試合は、サッカーが世界中に広まる前、1872年にイングランドとスコットランドの間で行われた。ホーム・ネイションズの各協会はアマチュア選手への支払い関する論争によって1920年に国際サッカー連盟を脱退し、1946年まで復帰しなかったため、各代表は1950 FIFAワールドカップまでワールドカップに参加しなかった。
概要
背景