サターンV
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この項目では、アメリカ合衆国のロケットについて説明しています。ソニー・マガジンズのセガサターン専門誌については「HYPERプレイステーション2」をご覧ください。
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サターンV
発射台上のサターンV(アポロ4号

使用目的有人月飛行
製造ボーイング(第一段:S-IC
ノース・アメリカン(第二段:S-II
ダグラス(第三段:S-IVB
規格
全高110.6m
直径10.1m
重量3,038,500kg
搭載能力
低軌道118,000kg
月軌道47,000kg
履歴
初飛行1967年11月9日
最終飛行1972年5月14日
総飛行回数13回
第一段 (S-IC)
エンジンF-1 5基
推力3,465トン (34.02MN)
比推力263秒(2,580N-s/kg)
燃焼時間150秒
燃料 / 酸化剤ケロシン / 液体酸素
第二段 (S-II)
エンジンJ-2 5基
推力453トン (5MN)
比推力421秒 (4,130N-s/kg)
燃焼時間360秒
燃料 / 酸化剤液体水素 / 液体酸素
第三段 (S-IVB)
エンジンJ-2 1基
推力102トン (1MN)
比推力421秒 (4,130N-s/kg)
燃焼時間1回目:165秒、2回目:335秒
燃料 / 酸化剤液体水素 / 液体酸素

サターンV(サターンファイブ、Saturn V)は、1967年から1973年にかけてアメリカ合衆国アポロ計画およびスカイラブ計画で使用された、使い捨て方式の液体燃料多段式ロケット。日本では一般的にサターンV型ロケットと呼ばれる。
概要

月飛行用ロケットとして知られており、アメリカ航空宇宙局(NASA)が6年間で計13機のサターンVを発射した。その間、搭載物が失われるような大きな事故は一度も起こっていない。全高、総重量、ペイロード(搭載物重量)などの項目で、史上最大のロケットである。これらは、ギネス世界記録として認定されている。後に、旧ソビエト連邦エネルギアが開発され、離床推力でわずかにサターンVを上回ったが、1980年代に2回試験飛行を行っただけで、後に計画自体が中止されたため、こちらは実用ロケットとは言い難い。

サターン・シリーズの旗艦であるサターンVは、ウェルナー・フォン・ブラウン博士の指揮の下、ボーイングノース・アメリカンダグラスIBM等が元請け企業となり、アラバマ州ハンツビルマーシャル宇宙飛行センターにおいて開発が進められた。各三段のロケットはそれぞれの担当企業によって製作されたが、最終的にそれらを引き取り組み立てる作業はボーイングが行った。
背景

1957年10月4日、旧ソビエト連邦が史上初の人工衛星となるスプートニク1号を打ち上げた。当時アメリカ合衆国上院院内総務を務めていたリンドン・ジョンソンはその時の印象について以下のように回想している。

「我々は大変な衝撃を受けた。アメリカ以外の国が、偉大な我々の祖国よりも優位に立つ技術を開発することが可能であることを知ったからだ」

だがスプートニクの衝撃は、それだけでは終わらなかった。1961年ユーリイ・ガガーリン飛行士がボストーク1号で世界初の有人宇宙飛行を行ったことにより、ソ連が宇宙開発競争においてアメリカをリードしていることを思い知らされたからである。

これを受け、1961年5月25日、米国大統領 ジョン・F・ケネディは、1960年代の終わりまでに人間を月面に到達させる声明を発表した。とはいえ、その時点でアメリカが行った有人宇宙飛行といえば、マーキュリー計画の最初の有人機(フリーダム7)でアラン・シェパード飛行士が行った、わずか15分間の弾道飛行のみであった。当時のアメリカには、有人宇宙船を月まで到達させることができるようなロケットは存在しなかったのである。開発中の大型ロケットサターンIを複数機使用すれば、軌道上に月飛行用の宇宙船を打ち上げることは可能だったが、同機が初飛行するのは、この5か月後の10月27日のことであった。サターンVはいまだ白紙の状態だったが、後に同機に使用される強力なF-1ロケットエンジンは既に開発されており、燃焼試験も行われていた。
計画の概要

計画の初期段階で、NASAは月飛行について、以下の4種類のプランを持っていた。
直接降下方式

地球周回軌道
ランデブー方式(Earth Orbit Rendezvous, EOR)

月面ランデブー方式

月周回軌道ランデブー方式(Lunar Orbit Rendezvous, LOR)

プラン1は巨大ロケットを使用して直接月面に着陸するもの、プラン2は地球周回軌道上に二機の宇宙船を二度に分けて打ち上げ、ドッキングさせてから月面に向かうもの、プラン3は二機の宇宙船を続けて打ち上げ、燃料を搭載した無人の宇宙船が先に月面に到達し、その後人間を乗せた宇宙船が着陸するもの、プラン4は一回の発射で母船と月着陸船をまとめて打ち上げ、着陸船のみが月面に降り立ち、月周回軌道でランデブーとドッキングを行ってから地球に帰還する、というものである。

NASAは当初LOR案については、「ランデブーやドッキングは地球周回軌道上においてさえも行われたことがなく、まして月周回軌道上で行うのはリスクが大きすぎる」として排除していたが、ラングレー研究所のジョン・フーボルトや、ラングレー調査センター技術士のジョン・ヒューバート、NASA事務官ジョージ・ローなど何人かのNASAの役人は、LOR方式こそが最も単純な方法であり、コストの面から見ても、(そしてこれが恐らく最も重要なことだが)60年代中に月面着陸を成功させるという目標を達成するにも、最良の方法であると主張した。やがて他の官僚たちもそれを確信し、1962年11月7日、LOR方式が計画の基本方針として正式に採用された。
開発
C-1からC-4へ

1960年から1962年にかけて、マーシャル宇宙飛行センターは多目的ロケット開発に関する様々な構想を描いていた。そのうちC-1と呼ばれていたプランは、後にサターンIとして実現する。C-2と呼ばれるプランは、第一段に2基のF-1、第二段に4基のJ-2、第三段に6基のRL-10を使用するもので、初期段階でC-3案に吸収された。

NASAは当初、C-3案のロケットを4機から5機使用して月飛行用宇宙船を建設する、地球周回軌道ランデブー方式を計画していたが、その時すでにマーシャル宇宙飛行センターは、より大きなC-4ロケットを計画していた。C-4は第一段に4基のF-1、第二段はC-3の二段目の拡張型、そして第三段はJ-2エンジンを搭載したS-IVBを使用するものである。この方式であれば、使用するロケットは2機で済むことになる。
C-5

1962年1月10日、NASAはC-5ロケット計画を発表した。C-5は第一段に5基のF-1、第二段に5基のJ-2、第三段に1基のJ-2を使用するものである(これがそのまま、サターンVのデザインとなった)。C-5は月飛行のために必要なより高い搭載能力、特に月軌道に41,000kg以上の衛星を投入できる能力を持つものとしてデザインされた。ただ第一号機を製作する前には、各部分の試験を積み重ねていかなければならない。第三段ロケットはC-IBの第二段としても利用できるもので、C-5の概念と実行可能性を証明しなければならないが、同時に開発を継続するために検討されるべきデータも提供しなければならない。


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