サターンI_型ロケット
[Wikipedia|▼Menu]

サターンI

使用目的有人月飛行計画の準備
製造クライスラー (S-I)
ダグラス (S-IV)
コンベア (S-V) ※実現せず
規格
全高55m
直径6.52m
重量509,660kg
搭載能力
低軌道9,000kg
月軌道2,200kg
履歴
初飛行1961年10月27日
最終飛行1965年7月30日
主な搭載物アポロ司令・機械船(模型)、ペガサス衛星
第一段 (S-I)
エンジンH-1 8基
推力6.7MN(679.5トン
燃焼時間150秒
燃料 / 酸化剤ケロシン / 液体酸素
第二段 (S-IV)
エンジンRL-10 6基
推力400kN(40.77トン)
燃焼時間482秒
燃料 / 酸化剤液体水素 / 液体酸素
第三段 (S-V) ※実現されず
エンジンRL-10 2基
推力133kN(13.59トン)
燃焼時間430秒
燃料 / 酸化剤液体水素 / 液体酸素

サターンI(英語ではサターン・ワンと発音される。日本ではサターン1型(さたーんいちがた)ロケットと呼ばれるのが一般的である)は、アメリカ合衆国が特に地球周回軌道に衛星を乗せることを目的に開発した初めてのロケット(宇宙専用機)である。第一段は、新規に大きなエンジンを開発するのではなく、すでに完成されている小さいロケットエンジンを組み合わせる (clustered) ことによって大推力を発生させていることが特徴である。このクラスター方式は「技術の停滞だ」と批判されたこともあったが、サターンはこの方式が、より手堅くて融通のきくものであることを実証してみせた。

サターンIは、元々は1960年代において全世界を射程圏内に収める軍用ミサイルとなるべきはずのものであったが、実際には10機のみが、より強力な第二段ロケットを搭載したサターンIBが登場するまでの短期間、アメリカ航空宇宙局 (NASA) によって使用されただけだった。
歴史
起源

サターン計画は、アメリカ国防総省から出された「通信その他を目的とした次世代の衛星を軌道に乗せるための、より大きなペイロード(搭載能力)を持つロケットを開発せよ」という要請に応えるための、いくつかの案の中の一つとしてスタートした。この要請書は、当時は非公式の存在だった国防高等研究計画局 (Defense Advanced Research Projects Agency) が作成したもので、具体的には
9,000kgから18,000kgの衛星を地球周回軌道に投入できるか、または

2,700kgから5,400kgの衛星を脱出速度に到達させることができる

能力が求められていた。既存のロケットでは1,400kgの衛星までしか第一宇宙速度に到達させることはできなかったが、新しい強力な上段ロケットを搭載すれば、その能力は4,500kgにまで拡張できる可能性があった。いずれにしても1961年から1962年初頭の段階では、そのような上段ロケットは準備されておらず、いまだ要請に応えられるような状態ではなかった。

そんな中で、当時陸軍弾道ミサイル局 (U.S. Army Ballistic Missile Agency) に在籍していたウェルナー・フォン・ブラウン博士が率いる研究者チームは、1957年4月に国防総省の要請に対する研究を開始した。彼らの計算によると、必要とされる第一段ロケットの推力は、発射時において約6,700kNであった。空軍はすでにその線に沿って研究を開始しており、後にそれはサターンVの一段目に使用されるF-1エンジンとなって実現されることになるが、それでは国防総省が要請した期限にはとても間に合わない。そのためブラウン博士らは、出力を4,500kNにまで落として新型エンジンの実現の可能性を模索した。

もう一つの可能性として、当時すでにロケットダイン社が開発していた、推力36万 - 38万ポンド(163 - 171トン)を発揮するE-1エンジンを4基束ねるという方法(クラスター方式)があった。この方式ならば、新規にエンジンを開発することなく国防総省の要望に応えることができる。燃料タンクも既にあるジュピターIRBMの周囲を8本のレッドストーンSRBMで取り囲むという形にすることで、開発の時間を省略する。こちらの案のほうがより望ましいと考えられたので、1957年12月、ブラウン博士は「ミサイルおよび宇宙機に関する国家統合計画」という題名(単に『スーパー・ジュピター』と呼ばれるほうがよく知られている)で、この方式の概要を国防高等研究計画局に提出した。

この報告に基づき、クラスター方式の第一段の上に、アトラスタイタンIのどちらかの第二段を搭載するなどのいくつかの提案がなされたが、当時はアトラスの生産のほうが最優先事項であり、流用できる機体は少なかったため、弾道ミサイル局はタイタンのほうが望ましいと考えた。

1958年2月に国防高等研究計画局が公的な機関になり、ブラウン博士の提案に対して一点だけ変更の要望が出された。新型ロケットの開発を速やかに実行段階に移らせるために、エンジンは完成後間もないE-1ではなく、信頼性の高い他のものを使用することである。弾道ミサイル局は、E-1エンジン4基の代わりに、ジュピターやソーIRBMに使用されているS-3Dを改良したH-1エンジンを8基搭載することで、この要望に速やかに応えた。この変更により、開発費は600万ドル、期間は2年間縮小できると見積もられた。ブラウン博士は、以前に宇宙計画に使用されたレッドストーンおよびジュピターミサイルを、それぞれジュノー1 (Juno I) およびジュノー2 (Juno II) と命名し、今回の多段式ロケットに関する提案をジュノー3 (Juno III)、ジュノー4 (Juno IV) と呼んでいたので、必然的にH-1エンジンに変更されたものはジュノー5 (Juno V) と呼ばれることになった。最終的に1958年から1963年までの間にかかった開発費は、総額で8億5000万ドル2007年の貨幣価値に換算すると、約56億ドル)にのぼった。
計画の開始

提案の内容に満足した国防高等研究計画局は、計画を実行段階に移すよう指示した。1958年8月15日の日付が記された、14から59番指令書の中では、この計画の目的は以下のように記されている。

「既存のロケットエンジンを組み合わせることにより、約150万ポンド(2,038トン)の推力を持つロケットを開発せよ。なお本計画の直接の目的は、1959年の終わりまでに巨大ロケットを発射して、国威を発揚することにある」

続く1958年9月11日には、ロケットダイン社がH-1エンジンに関する作業の契約を獲得した。9月23日には、国防高等研究計画局と陸軍造兵局ミサイル司令部 (Army Ordnance Missile Command, AOMC) は計画の範囲を拡張し、

「国威の発揚に加え(中略)この計画は、1960年9月頃までに推進飛行試験を準備する段階にまで拡張するべきであるということに、ここに至って合意する」

という内容の追加の合意書を作成した。さらにまた、彼らは陸軍弾道ミサイル局に対し、より小型の3種類のロケットを開発することを要請した。

ブラウン博士は、このデザインは他の推進システムにとって優秀なテストモデルになるかもしれないと感じ、大きな望みを抱いていた。彼はジュノー5の使用法について、宇宙兵器の研究・開発のための運搬手段というアウトラインを描いていた。宇宙の軍事利用については、すでに各軍事機関によって様々な構想が出されていた。たとえば航法衛星(海軍)、偵察通信気象衛星(陸・空軍)、あるいは空軍の有人実験飛行や、陸軍の6,400km以上の長距離における兵站のサポートなどである。ブラウン博士はまた、ジュノー5 を彼の構想する有人月飛行計画「ホライゾン」において、月飛行のための基地として使用することも提案していた。15機のジュノーを使用して90,000kg以上もの基地を地球周回軌道上に建設し、そこから月に向かう、というものである。

またこの時点において、この計画の名称には「Jupiter(木星)」の次に来るものとして、「Saturn(土星)」も並行的に使用されていた。国防高等研究計画局は、ある初期の文書で「史上初の旅客機であり、航空業界で現在でも息長く使用されているダグラス DC-3のように、サターンは史上初の真の宇宙機になるだろう」と述べている。1959年2月には、この計画の名称は公式に「サターン」と変更された。
NASAの参入

1958年7月29日、混在する重量級ロケットの開発計画を将来に向けて一本化するために、NASAが組織された。その時点で、陸軍はサターン、空軍は宇宙発射システム (Space Launching System, SLS) という、それぞれ異なる計画を持っていた。SLSは、様々な発射形態や搭載物重量に応えるために、固体燃料式のブースターや液体酸素液体水素を燃料とする上段ロケットといった共通のモジュールを組み合わせて使用するというものである。それぞれのグループは、また独自の有人月飛行計画を進めており、陸軍弾道ミサイル局のホライゾン計画は地球周回軌道ランデブー方式によって巨大な月ロケットを建設するというものであり、空軍のルネックス計画 (Lunex Project) はSLS方式によって最大級のロケットを作り、一気に月まで行ってしまおう、というものであった。これに対してNASAの技術者たちが独自に計画していたのは、ノヴァ (Nova) という巨大ロケットを使って直接月まで行くというもので、空軍の構想と同じものであった。

そこでこれらの混在する計画を比較検討するための委員会が立ち上げられ、フォン・ブラウン博士が議長に任命され、どれが最も適切な方法であるのかを検討し報告するよう要請された。これを受け7月18日に提出された報告書は、冒頭でアメリカの宇宙計画がそれまでいかにぞんざいに扱われてきたのかを批判し、ソ連の宇宙計画は明らかにアメリカより先んじているということを指摘していた。

報告書はまた 初期のヴァンガード (Vanguard) から始まり、 ジュノー、アトラスやタイタンなどの大陸間弾道弾、 サターンのようなクラスター式ロケット、そして究極的には F-1エンジンを組み合わせて600万ポンド(2,718トン)もの推力を発揮する機体へと続く、ロケットの開発に関する過去から将来への5つの世代の構想を描いていた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:51 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef