サセックス伯爵(サセックスはくしゃく、英語: Earl of Sussex)は、イギリスの伯爵位。イングランド貴族、グレートブリテン貴族、連合王国貴族として創設されたことがある。 第6代サリー伯爵ジョン・ド・ワーレンとその家族はサセックス伯爵の爵位を主張したが、ブリタニカ百科事典はド・ワーレンが法律上
歴史
ド・ワーレン家
ラドクリフ家第3代サセックス伯爵トマス・ラドクリフ、1560年代。
ヘンリー7世とヘンリー8世の治世に活躍した軍人で、ガーター勲章を授与された第10代フィッツウォルター男爵ロバート・ラドクリフ
(英語版)は1525年6月18日にイングランド貴族であるフィッツウォルター子爵に叙され、1529年12月8日にサセックス伯爵に叙された[2]。その孫にあたる3代伯爵トマス(英語版)はイングランド女王エリザベス1世の廷臣であり、ノーフォーク統監(英語版)、サフォーク統監(英語版)、アイルランド総督、宮内長官(英語版)を歴任した[3]。
4代伯爵ヘンリー(英語版)はイングランド庶民院とアイルランド庶民院の両方で議員を務めたほか、ポーツマス総督(英語版)、ハンプシャー統監を歴任し、5代伯爵ロバート・ラドクリフ(英語版)(1573-1629)はエセックス統監(英語版)を務めたが、1621年に息子ヘンリーが父に先立って死去したため、男系男子しか継承できないフィッツウォルター子爵とサセックス伯爵は初代伯爵の三男ハンフリーの息子エドワード・ラドクリフ(英語版)が、女系継承ができるフィッツウォルター男爵は2代伯爵の娘フランシスの息子[3]サー・ヘンリー・マイルドメイが継承した。6代伯爵が死去すると、フィッツウォルター子爵とサセックス伯爵は廃絶した[4]。 ヨークシャー選挙区
サヴィル家
しかし、息子にあたる2代伯爵ジェームズは1671年に同名の息子に先立たれ、2代伯爵の死に伴い爵位は廃絶した[5]。 第15代デイカー男爵ヘンリー・レンナード
レンナード家
イェルヴァートン家初代ロングヴィル子爵ヘンリー・イェルヴァートン
庶民院議長クリストファー・イェルヴァートン(英語版)の同名の孫クリストファー・イェルヴァートン(英語版)は庶民院議員を務め、1641年にノーサンプトンシャーにおけるイーストン・モーデュイット(英語版)のイェルヴァートン準男爵に叙された[7]。その息子の2代準男爵ヘンリー(英語版)も庶民院を務め、3代準男爵チャールズは1676年1月に母のスーザン・ロングヴィルから第14代ルシンのグレイ男爵を継承した[7]。14代男爵の死後、弟ヘンリーが爵位を継承、名誉革命を支持して1690年4月21日にロングヴィル子爵に叙された[8]。2代子爵タルボットは1717年9月26日にサセックス伯爵に叙された後、1722年に王立協会フェローに選出され、1723年には副軍務伯を務めた[9]。1717年の叙爵では特別残余権として、初代伯爵の男系男子が断絶した場合に初代伯爵の弟ヘンリーの男系男子にも継承権が与えられたが、1799年に3代伯爵ヘンリーが死去した時点で初代伯爵の弟ヘンリーの男系子孫も断絶しており、爵位はそのまま廃絶した[9]。
サクス=コバーグ=ゴータ家初代コノート=ストラサーン公爵・初代サセックス伯爵アーサー王子、1913年撮影。
ヴィクトリア女王の三男アーサー王子は1874年5月23日(叙爵の特許状は翌日付)に連合王国貴族であるサセックス伯爵とコノート=ストラサーン公爵に叙された[10]。1942年にアーサー王子が死去すると、孫アラステア・アーサー王子が爵位を継承したが、1943年のアラステアの死に伴い爵位は廃絶した[11]。
ワーレン家
第6代サリー伯爵・初代サセックス伯爵ジョン・ド・ワーレン(1231年頃 ? 1304年)
第7代サリー伯爵・第2代サセックス伯爵ジョン・ド・ワーレン(英語版)(1286年 ? 1347年)
ラドクリフ家
サセックス伯爵(第1期、1529年)
初代サセックス伯爵・初代フィッツウォルター子爵・第10代フィッツウォルター男爵ロバート・ラドクリフ(英語版)(1483年頃 ? 1542年)
第2代サセックス伯爵・第2代フィッツウォルター子爵・第11代フィッツウォルター男爵ヘンリー・ラドクリフ(英語版)(1507年 ? 1557年)
第3代サセックス伯爵・第3代フィッツウォルター子爵・第12代フィッツウォルター男爵トマス・ラドクリフ(英語版)(1525年頃 ? 1583年)
第4代サセックス伯爵・第4代フィッツウォルター子爵・第13代フィッツウォルター男爵ヘンリー・ラドクリフ(英語版)(1530年頃 ? 1593年)
第5代サセックス伯爵・第5代フィッツウォルター子爵・第14代フィッツウォルター男爵ロバート・ラドクリフ(英語版)(1573年 ? 1629年)
フィッツウォルター子爵ヘンリー・ラドクリフ(1598年頃 ? 1621年)
5代伯爵の死に伴いフィッツウォルター男爵(英語版)が分離
第6代サセックス伯爵・第6代フィッツウォルター子爵エドワード・ラドクリフ(英語版)(1559年頃 ? 1643年)
サヴィル家
ポンテフラクトのサヴィル男爵(1627年)
初代ポンテフラクトのサヴィル男爵ジョン・サヴィル(英語版)(1556年 ? 1630年)
初代サヴィル子爵・第2代ポンテフラクトのサヴィル男爵トマス・サヴィル(英語版)(1590年 ? 1659年頃)
1628年、サヴィル子爵に叙爵。1644年、サセックス伯爵に叙爵
サセックス伯爵(第2期、1644年)
初代サセックス伯爵・初代サヴィル子爵・第2代ポンテフラクトのサヴィル男爵トマス・サヴィル(英語版)(1590年 ? 1659年頃)
第2代サセックス伯爵・第2代サヴィル子爵・第3代ポンテフラクトのサヴィル男爵ジェームズ・サヴィル(1647年 ? 1671年)