サジェストペディア
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サジェストペディア (suggestopedia または suggestopaedia) は1960年代から1990年代にかけてブルガリアで開発された学習理論および教授法。人間のコミュニケーションにおけるサジェスチョンの働きを医学的に研究するサジェストロジーと呼ばれる学問領域から派生した。
概要

サジェストペディアは、学習者にとって危険な「催眠状態」を誘発しないよう細心の注意を払いながら、日常のコミュニケーションに普遍的に存在する安全なサジェスチョンを組織して有効に使い、人生や社会生活の中で否定的なサジェスチョンに触れることで形成されてきた「人間性を低いレベルに限定するような固定観念」から学習者を解放して、脳本来の学習スタイルである創造的かつ高効率的な学習が自然に起こることを目標として開発された。

精神医学から派生した教授法として、健全な脳活動と精神衛生について良く考慮されており、一種の心理療法としての副次的効果も期待できるとされる。

理論開発は ⇒ブルガリア国立ソフィア大学教授のゲオルギー・ロザノフ(1926-2012 医学博士:精神医学、心理療法、脳生理学)とその研究チームがあたり、教授法としてのサジェストペディアの開発には応用言語学者で声楽家でもあったエヴェリナ・ガテバ(1939-1997 学術博士:応用言語学)が深く関わった。

開発初期には、一度のセッションで1000語の外国語単語の意味を認識できるようになるなど、非常に効率的な記憶術として報道され、世界の注目を集めた。ブルガリアでは記憶術や語学教授法としての応用の他に数学など他教科への応用実績もある。また、ブルガリアの国家的規模のプロジェクトとして行われた小学校科目全般への応用実験でも成果をあげている。

この時期の実験成果は1978年に ⇒ユネスコに報告(英語68ページ)され、1980年には、これを検証した ⇒ユネスコチームによる最終報告(仏語155ページ)で世界に向けての提言(和訳 アーカイブ)がなされている。ただし、その提言がプロジェクトの中心人物に据えるべしとした当のロザノフは、政権内部の力関係の変化などの結果ブルガリア社会主義政権(当時)によって1980年から1989年までの10年間、国内で軟禁状態に置かれることとなった。このため、ユネスコのサジェストペディアに関する提言は実行に移される機会を失って今日に至っている。

ブルガリア国外では、東ドイツソビエト連邦など冷戦中の東側諸国、中立国のオーストリアなどで、開発者自身の指導のもと同様の応用実験が行われ、効果が確認されている。アメリカ西ドイツフランスなど西側の国々にも、開発のごく初期段階から情報が伝えられ、各国での「加速学習」の開発に影響を与えた。しかし、1980年の軟禁事件によるロザノフ側からの情報断絶により、各地で起こった「加速学習」開発はそれぞれ独自の道を歩むことになった。後述する理由によりロザノフのサジェストペディアは現在それらの多くとは一線を画す存在となっている。
開発の経緯

ロザノフがサジェストロジー理論の着想を得たのは、ソフィア市内の神経科の診療所に勤務していた1955年だという。

その後国立科学アカデミーの研究室での基礎実験を経て、1963年と64年にはサジェスチョンによる超記憶に関するロザノフらの論文が発表された。1964年には医学大学院精神分析学部で最初の組織的な記憶実験も行われた。

実際の教授法開発は1965年に始まったが、翌1966年(10月6日)には、ブルガリア政府の後押しで国立サジェストロジー研究所が発足、サジェストロジーの基礎研究と応用研究が本格化した。ここでは、教授法「サジェストペディア」の開発と平行して心理療法の開発も行われ、1967年には心理療法「インテグラル・サイコセラピー」を完成した。

1971年、ガテバの参加により、現在見られるような、音楽と芸術性をふんだんに取り入れたコミュニケーション中心のサジェストペディアの原型が完成、それを用いて、成人用外国語教育を中心としたサジェストペディアの実験と改良が続けられた。また、1977年には児童用サジェストペディアの応用実験を行い、小学校1年生にあたる6歳児への文字と算数計算の導入にサジェストペディアを用いて良好な結果を得た。

これらの成果は、"Suggestology and Outlines of Suggestopedy"(Lozanov 1978)として出版された。

1978年から80年にかけては、ユネスコが組織した専門家による作業部会によってサジェストペディアの有効性が検証され、最終報告書(1980年12月)の中では、その後に向けてのいくつかの提言が行われた。

この最終報告書作成に中心的に関わったロザノフ本人は、その報告書の出版を見る前の1980年1月に当時共産主義政権であったブルガリア政府によって軟禁され、その後10年間国際社会から隔離されたため、この間ブルガリア国外へのサジェストペディア関連の情報は遮断された。しかしその間もロザノフとガテバによる理論面、応用面での研究は続けられ、特に成人用サジェストペディアコースはさらなる改良を受けた。この時期の研究成果は、"Foreign Language Teacher's Suggestopedic Manual" (Lozanov & Gateva 1988) と "Creating Wholeness through Art" (Gateva 1991)(いずれも邦訳なし)に盛り込まれた。

その後さらに5年をかけて、サジェストペディアは、脱サジェスチョンを重視したより洗練したシステムへと進化し、1994年(10月7日)にオーストリアのヴィクタースバーグでロザノフ主催により開催された「学習におけるサジェスチョンおよび脳・精神のリザーブ・キャパシティー ―第二回国際科学会議―」で、その最終形の完成が宣言された。

1997年のガテバの死以後、サジェストペディアの外観に大きな変更はないが、ロザノフによる理論面での開発はその最晩年まで続き、"Suggestopedia/Reservopedia" (Lozanov 2009) には、この教授法の今後に対するロザノフの提言が含まれている。
名称の由来

サジェストペディアは、サジェスチョンに関する研究であるサジェストロジーを土台として教育に応用したもの。名称は「指示、暗示、申し出、示唆、教唆」などを意味範囲に持つラテン語由来の英語 "サジェスト" と「教育」を意味するギリシャ語由来の "ペダゴジー" を組み合わせた造語。初期には「サジェストペダゴジー」と呼ばれたこともある。日本ではしばしば「暗示学習法」と訳されるが、日本語の「暗示」は必ずしもサジェストペディアの言う「サジェスチョン」を適切に翻案しているとは言えない。

ところで、「サジェストペディア」および「ロザノフメソッド」の名称は、1980年から1989年まで10年間にわたるロザノフのブルガリア国内での軟禁中に、ロザノフ自身の感知しないところで独り歩きを始め、この教授法の理論的背景や実態とは無関係に使用される例が世界中で続出した。国によってはこれら名称が商標登録され、ロザノフ自身はサジェストペディアとしての効果を否定している録音教材が「サジェストペディア教材」として「ロザノフ」ブランドを冠して売り出されるなど、世間一般における名称と実態との乖離は続き、この教授法の正確な理解を阻む深刻な状況が引き起こされた。こうした混乱を嫌い、教授法本体の名称を変更するこころみが開発者自身によってなされてきた。

ロザノフ自身がこれまで命名したサジェストペディアの別名称には「脱サジェストペディア」(1994)、「リザーブズ・キャパシティー・コミュニカティブ」(1998)、「リザボペディア」(2006)などがある。「脱サジェストペディア (desuggestopedia)」は、脱サジェスチョンを主眼にすえた名称であり、「リザーブズ・キャパシティー・コミュニカティブ(または "Re-Ca-Co" )」は、この教授法が脳のリザーブ・キャパシティーに着目し、教室内におけるコミュニケーションを通してこれに働きかけ、活用していくメソッドであることを表している。この考え方を推し進めて、ロザノフは2006年にこの教授法は将来的に「リザボペディア(reservopedia)」と呼ばれるべきであると提言し、2009年出版の著書のタイトルにもこの名称を含めている。
サジェストペディアにおけるサジェスチョンの定義

サジェストペディアは、サジェスチョンを"意識と周辺意識を含む全人格に対して、言語的・非言語的に影響を与え得るすべての刺激およびコミュニカティブ要素"

と定義する。このような定義は一般的に理解される「サジェスチョン」の語義に比べると非常に広義である。特に「催眠用語としてのサジェスチョン」とは、定義を大いに異にするため、両者の混同には注意が必要である。

サジェストペディアでは、上に定義されたようなサジェスチョンを、その理念の達成に向けて、組織化、方向付けして使用する。

サジェストペディアコースで実際に利用されるサジェスチョンは、それが言語サジェスチョンであれば「申し出、勧め、誘い、提案、褒め言葉、応援」といった内容であり、また非言語サジェスチョンであれば、「楽しさ、笑い、人間愛、快適な雰囲気、厳粛なムード、オーセンティックな環境、権威ある作曲家の音楽、有名な画家の絵画、黄金比に代表される美的バランス、コースの一貫性」といった形で表現される。
開発のベース

サジェストペディアの開発は、サジェストロジーの研究により明らかになった以下の事実を出発点にしている。
人間は、日常一般の言語および
非言語コミュニケーションの中に不断に遍在するさまざまなサジェスチョンによって、意識的、無意識的、全人格的に影響されている。その中には肯定的な影響もあれば、否定的な影響もある。

催眠状態の、あるいは特殊な修行を積んだ、または天才精神障害を持つ人間にしか起こりえないと考えられていたさまざまな現象は、日常一般に普遍的に存在するサジェスチョンによって、ごく普通の人間にも起こり得る。さまざまな現象とは、たとえば、超記憶、無血無痛の開腹手術自律神経のコントロール、固定観念の定着、固定観念からの解放などである。

さらに、催眠によっては起こり得ない現象も、日常一般的なサジェスチョンによっては起こり得る。その現象とは、たとえば、創造性の高揚、被催眠性の減少などである。

記憶は、情報のただ一度の披瀝によって脳内にほとんど全部ほぼ正確にきわめて長期間保持される。一般に「記憶力」と呼ばれているのは実は「思い出す能力」である。脱サジェスチョンの実現によって高まるのはこの「思い出す能力」であり、「超記憶」と呼ばれるものは実際には「何でも簡単に思い出すこと」である。


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