サクランボ
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「サクランボ」のその他の用法については「さくらんぼ」をご覧ください。
サクランボ(桜桃)

サクランボ(桜ん坊)または桜桃(おうとう)は、バラ科サクラ属サクラ亜属の果樹であるミザクラ(実桜)類の果実。食用され、は初夏の6 - 7月ごろ[1]サクラの果実の中でも、セイヨウミザクラ(西洋実桜)を通称サクランボとよんでいる[1]
概要

木を桜桃、果実をサクランボと呼び分ける場合もある。生産者は桜桃と呼ぶことが多く、商品化され店頭に並んだものはサクランボとよばれる。サクランボは、の実という意味の「桜の坊」の「の」が撥音便となり、語末が短母音化したと考えられている。

花を鑑賞する品種のサクラでは、実は大きくならない。果樹であるミザクラには東洋系とヨーロッパ系とがあり、日本で栽培される大半はヨーロッパ系である。品種数は非常に多く1000種を超えるとされている。

果実は丸みを帯びた赤い実が多く、中に種子が1つある核果類に分類される。品種によって黄白色や葡萄巨峰のように赤黒い色で紫がかったものもある。生食用にされるのは甘果桜桃の果実であり、日本で食されるサクランボもこれに属する。その他調理用には酸味が強い酸果桜桃の果実が使われる。

ほとんどの甘果桜桃は自家不和合性があり、他家受粉が必要である。受粉には最低限自家不和合性遺伝子型(S遺伝子型)が異なる必要があり、異なる品種なら何でも良いというわけではない。ごくわずかだが自家結実する品種もある。一方、酸果桜桃は全ての品種に自家和合性がある。

栄養価は、ビタミンCカリウム葉酸が比較的多く、リンゴ酸クエン酸ブドウ糖果糖なども含んでいる[1]
歴史

サクランボは有史以前から食べられていた。セイヨウミザクラ(甘果桜桃、Prunus avium)はイラン北部からヨーロッパ西部にかけて自生していた。また別の種であるスミミザクラ(酸果桜桃、Prunus cerasus)の原産地はアジア西部のトルコあたりである。

原産地の推定は、1世紀古代ローマの博物学者プリニウスが著書博物誌に書いた説明に基づく[2]。これによると、古代ローマの執政官ルクッルス第三次ミトリダテス戦争黒海南岸のケラソス(Kerasos、現在のトルコギレスン (Giresun) )近くに駐屯した際、サクランボの木を見つけ、ローマに持ち帰ったという。サクランボの木が属するサクラ亜属の学名Cerasusは、ケラソスのラテン語表記である。なお、逆にサクランボにちなんで町の名が付けられた可能性もある[3]

ただし、イギリスで青銅器時代のサクランボの種が発掘されていることから[4]19世紀のスイスの植物学者アルフォンス・ド・カンドル (en) は、ルクッルスがコーカサスから持ち帰ったのは、セイヨウミザクラの一栽培品種だったとの仮説を述べている[5]

この2品種は黒海沿岸からヨーロッパ諸国へ伝わり、特にイギリスフランスドイツで普及した。名称がノルマン人によってシェリーズ (cherise) となり、イングランドに渡ってシェリー (chery) となり、英語のcherryになったといわれている[3]16世紀ごろから本格的に栽培されるようになり、17世紀にはアメリカ大陸に伝えられた。

一方、中国には昔から華北華中を中心に、カラミザクラ(シナノミザクラ、支那桜桃、 Prunus pseudocerasus)がある。口に含んで食べることから一名を含桃といい[6]の時代に編纂された礼記『月令』の仲夏(旧暦5月)の条に「是月也,天子乃以雛嘗黍,羞以含桃,先薦寢廟」[7]との記述がある。江戸時代から日本に伝えられ、西日本でわずかに栽培されている[8]。これは、材が家具、彫刻などに使われる。暖地桜桃ともよばれる。「桜桃」という名称は中国から伝えられたものである。

セイヨウミザクラが日本に伝えられたのは明治初期で、ドイツ人のガルトネルによって北海道に植えられたのが始まりだとされる[8]。その後、北海道や山形県を初めとする東北地方に広がり、各地で改良が重ねられた。
品種高砂佐藤錦ナポレオンダイアナブライト


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