サウンド・システム (sound system) は、野外ダンスパーティを提供する移動式の音響設備、および提供する集団を指す。略して単にサウンドとも言う。ジャマイカの音楽史、とりわけダンスホールレゲエにおいては欠かすことのできない要素である[1]。
また、ジャマイカのサウンド・システムという形式および言葉から派生して、現在ではテクノやレイヴ、ヒップホップ、カリプソなど、レゲエ以外の音楽ジャンルでも使用されている。
この項では主にレゲエにおいての事柄について示す。
構成音響を調節するサウンド・システムのエンジニア
一般的にサウンド・システムは、移動式の巨大なスピーカー・セットとアンプ・セット、ターンテーブル、レコード(その多くはダブ・プレート)を保有している。集団を指しては特にサウンド・クルーまたはサウンド・マンとも呼び、一般的には、曲を掛けるセレクター、かけた曲の説明をするなどして場を盛り上げるMC、スピーカー・セットの状態を良好に保つエンジニアで構成される。トースティングをするディージェイが所属している場合もある。
曲の説明は元々はDJの仕事であったが、U・ロイの登場以降、DJが歌手やヒップホップで言うラッパーのようなレコーディング・アーティストになっていったために、専門職としてのMCが生まれた。こうしてレゲエでのDJは他のジャンルでのDJの概念とずれが生じたため、混同を避けるために「ディージェイ (deejay)」とも表記される。 サウンド・システムは1940年代にジャマイカの首都、キングストンのゲットーで生まれた。当初は酒屋、バーの経営者等がストリートにスピーカーを持ち出し、アメリカ合衆国のリズム・アンド・ブルースやブギウギなどをかけたりしていた。当時、ジャマイカではオーディオセットは普及していなかったため、多くの島民にとってはレコードを鑑賞できるよい機会だった。最初期に活動したサウンド・システムはトム・ザ・グレート・セバスチャン、ウォルドロン、カウント・ニック・ザ・チャンプ、グディーズであった[2]。 ジャマイカ国内でスカが多く録音されるようになるにつれて、ダンスのできる娯楽の場所へと変わっていった。サウンド・システムのオーナーは、併せてレーベルを経営するようになり、客から入場料を取ったり、食物やアルコール、レコードを販売することで利益を上げた。 スカの誕生によってレコードレーベル経営者は、積極的に音楽をプロデュースするようになる。重要な2人のレーベル経営者は、コクソン・ドッドとデューク・リードであった。ジャマイカ音楽の代表的なレーベルであるスタジオ・ワンとトレジャー・アイルは、それぞれこの2人のサウンド・システム、コクソン・ダウンビート (Coxsone Downbeat) とトロージャン (The Trojan) が発展したものである。 ロックステディが流行した60年代後半には、サウンド・システムの数も増え、各サウンド間の競争は激化した。競争はハードとソフトの両方に大きな進化をもたらした。スピーカー設備はより巨大な音が出るように改善され、サウンドのオーナー(兼レーベルの経営者)たちは選曲に趣向を凝らすことはもちろん、特注レコードであるダブ・プレートを量産した。 また、ディージェイやセレクターを引き抜き合ったり、時には暴力で他のサウンドともめることもあった。また、他のサウンドのスパイにプレイした曲を知られないようにするため、レコードの曲名部分のラベルを削り取ったりしていた[2]。 1948年から1962年に連邦移民法によって移民が制限されるまで、イギリスに移住するジャマイカ人は年平均3万人を下らなかった。
歴史
スカ以前
スカの発生
競争の激化ダブ・プレートのカッティング・マシーン
世界化ノッティングヒル・カーニバルにおいてスティール・バンドと共演するサウンドシステム