サウンドガーデン
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サウンドガーデン
Soundgarden
USA.オークランド公演 (2013年2月)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国
ワシントン州 シアトル
ジャンルグランジ[1][2][3][4]
ヘヴィメタル[2][3]
オルタナティヴ・メタル[1][2][3]
オルタナティヴ・ロック[1][2][3]
ハードロック[4]
活動期間1984年 - 1997年
2010年 - 2019年
レーベルサブ・ポップ
SSTレコード
A&Mレコード
リパブリック・レコード
共同作業者テンプル・オブ・ザ・ドッグ、トゥルーリー、オーディオスレイヴパール・ジャム
公式サイト ⇒www.soundgardenworld.com

メンバーキム・セイル (G)
ベン・シェパード (B)
マット・キャメロン (Ds)

旧メンバークリス・コーネル (Vo/G)
ほか別記参照
バンド初期のロゴ

サウンドガーデン (Soundgarden) は、アメリカ合衆国出身のロックバンド

1980年代からオルタナティヴ・メタルを先駆け、1990年代グランジ・ムーブメントを牽引した代表的グループの一つとして知られる。

1997年に解散するが、2010年に活動を再開。

アルバム総売り上げ2,100万枚以上。1995年度『グラミー賞』受賞[5]
概要

1990年代初頭にブームとなるグランジの先駆けとされ、激しいギターサウンド、重低音の利いたベースドラムリズム隊、そして高音、低音とを使い分けるヴォーカルが特徴。彼らが楽曲に取り入れたドロップDチューニングによる旋律的重音リフは1990年代のグランジ、オルタナティブのギタリストに多大な影響を与えた。ニルヴァーナカート・コバーンにも「こんな奴等にかなうわけがない」と絶賛されていた。
略歴創始者の一人 クリス・コーネル (2007年)

1984年に、シアトル出身のクリス・コーネル (Chris Cornell) が、シカゴ出身ギタリストであるキム・セイル (Kim Thayil) と日系人ベーシストヒロ・ヤマモト (Hiro Yamamoto) とともに結成。活動当初はクリスがヴォーカル&ドラムを担当していた。後にドラマーのスコット・サンドクイスト (Scott Sundquist) が加入し、活動を精力的に行っていく。

1985年、C/Z RECORDのコンピレーション・アルバムディープ・シックス - Deep Six -』(発売は1986年)の録音にグリーン・リヴァースキン・ヤード等と共に参加。スコット・サンドクイストが脱退し、後任ドラマーに元スキン・ヤードのマット・キャメロン (Matt Cameron) が加入。

1986年、ジョン・ポントマンというスカウトマンが仕切っていたサウンドガーデンのライブを、キムがブルース・パビットに見せたことがきっかけで、パビットがジョナサン・ポーンマンと立ち上げたインディーズレーベル、「サブ・ポップ (SUB POP) 」と契約をする。(この事は1992年(国内盤は1993年)発売のライブビデオ「MOTORVISION(モーターヴィジョン)」でパビットが語っている。)

1987年10月、サブ・ポップからEP『スクリーミング・ライフ - Screaming Life - 』をリリース。

1988年8月、サブ・ポップからEP『フォップ - Fopp - 』をリリース。

1988年11月、インディーズレーベル「SST」から1stアルバム『ウルトラメガ・OK - Ultramega Ok - 』をリリース。同アルバムは後に第32回グラミー賞でベスト・メタル・パフォーマンス賞にノミネートされる[6]。そして、1988年のうちにメジャーのA&Mレコードと契約。

1989年9月5日、A&Mから2ndアルバム『ラウダー・ザン・ラヴ - Louder Than Love - 』をリリース。
発表直後に「大学に戻るため長期的なツアーには参加できない」ことを理由にヒロ・ヤマモトが脱退。友好的な脱退とされる。サポートベースとしてジェイソン・エヴァーマン (Jason Everman) が参加し、「Louder Than Love」ツアーを続行。

1990年、ギタリストのベン・シェパード (Ben Shepherd) が加入。ベンは加入と同時にベーシストに転向した。

1991年、クリス・コーネルの親友で、ドラッグの多量摂取により、死亡したマザー・ラヴ・ボーンのヴォーカリスト、アンドリュー・ウッドの追悼アルバム「Temple Of The Dog」にクリス・コーネルとマット・キャメロンが参加。

1991年10月8日 3rdアルバム『バッドモーターフィンガー - Badmotorfinger - 』リリース。ガンズ・アンド・ローゼススキッド・ロウの前座を務める。

1992年4月、「Temple Of The Dog」の収録で知り合った面々が結成したパール・ジャムと共演。

1993年ニール・ヤングのツアーに同行。ツアー同行の為アルバム制作を中断したという逸話がある。

1994年2月に初来日公演。

3月8日4thアルバム『スーパーアンノウン - Superunknown - 』リリース。ビルボードで全米1位を獲得する。


「ブラック・ホール・サン」のPVがビデオ部門でグラミー賞獲得。

1996年5月14日に5thアルバム『ダウン・オン・ジ・アップサイド - Down on The Upside - 』リリース。


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