「サウル」のその他の用法については「サウル (曖昧さ回避)」をご覧ください。
サウル
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イスラエル王
ダビデの弾く竪琴に聞き入るサウル。レンブラント・ファン・レイン画
死去紀元前1000年頃
ギルボア山
配偶者アヒノアム
リヅパ
子女本文参照
王朝サウル朝
父親キシ
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サウル(Saul、ヘブライ語: ????????、????l)は、旧約聖書『サムエル記』に登場する、紀元前10世紀頃のイスラエル王国の最初の王。
生涯ダビデに槍を振り上げるサウルサルヴァトル・ローザ『エン・ドルの口寄せの家でサウルに現れるサムエルの霊』1668年 ルーブル美術館ピーテル・ブリューゲル『サウルの自害
サムエルが士師としてイスラエルを指導していた頃、民の中から王を求める声が強くなった。サムエルは王政のデメリットを以下のように説明するが、民が聞き入れなかったので神の指示によって王になるべき男を捜す[1]。
息子が取られて従軍させられる
軍のための仕事が課される
娘も取られて働かされる
良い畑なども取られた上に税を課せられ、民は王の奴隷になる
民が王のゆえに神に呼ばわっても、神は答えられない
サウルはベニヤミン族出身のキシの息子で、背が高く美しい若者であった。ロバを探しに出てサムエルに会い、サムエルは彼が神が選んだ人であることを悟って油を注ぐ[2]。 最初の戦闘でサウルはアンモン人に攻め囲まれたヤベシ・ギレアデを救い、民に王として歓迎される[3]。その後もサウルは息子ヨナタンや家臣たちと共にイスラエルを率いて、ペリシテ人や周辺民族と勇敢に戦った。しかしアマレク人との戦いで「アマレク人とその属するものを一切滅ぼせ」という神の命令に従わなかったため、神の心は彼から離れた[4]。神の声を伝えていたサムエルもこれ以降サウルに会うことはなかった。 サムエルはサウルをあきらめ、神の言葉によってひそかにエッサイの子ダビデに油を注いだ。ダビデはペリシテの勇者ゴリアテを討って有名になり、竪琴の名手としてサウルに仕えたが、サウルはダビデの人気をねたんで命を狙った[5]。ダビデは逃れ、何度もサウルを殺害するチャンスを得たが、「神の選んだ人に手をかけられない」といってサウルに手を触れなかった[6][7]。 ダビデの立琴によってサウルから悪霊が出て行った、第一サムエル16章23節 サムエルの死後にペリシテ軍がシュネムに陣を取った際、サウルは恐れて主に伺いをたてるが答えを得られず、自ら断ち滅ぼしたはずの口寄せに頼った。サムエルが現れるが「主はイスラエルの軍勢をペリシテびとの手に渡される」と言い渡される[8]。 サウルはペリシテ軍との戦いの中で、ギルボア山で息子たちと共に追い詰められ、剣の上に身を投げて自害した[9]。また「重傷だったサウルに頼まれて家臣がとどめをさした」との異なる伝承もあるが[10]、そのようにダビデに話した若者はダビデによって処刑された[11]。 サウルとヨナタンの遺体はペリシテ人に奪われ、鎧を剥ぎ取られた上でベテ・シャンの城壁に釘付けにされ晒し者にされていた。それを聞いたヤベシ・ギレアデの勇士たちは夜に取り返しに行き、取り返した後は火葬し遺骨はヤベシのギョリュウの木の下に埋葬して一週間断食した[12][13]。後に次の王となったダビデによって、ベニヤミンの地ゼラにあるその父キシの墓に移送され葬られた[14][15]。 サウル王の四男のイシュ・ボシェテがただ一人生き残り、将軍アブネル
王としてのサウル
最期
死後
サウルの孫に当たるヨナタンの足萎えの子メピボセテは、その父ヨナタンゆえにダビデより施しを受け、常にダビデと共に食事をするよう食卓に招かれた[17]。 サウルの家族については『サムエル記』上14:49-51[注 1]、サムエル記下21:7-14[注 2]、歴代誌上8:33-35[注 3]参照。 聖書中の記述を元にするとサウルの身辺は概ね以下のようになる[注 6][注 7]。 ベニヤミン人
家族
妻:アヒマアズの娘アヒノアム、アヤの娘リヅパ
息子:ヨナタン、エスイ、マルキシュア、アビナダブ、エシバアル(イシュ・ボシェテ)、(めかけのリヅパとの子、アルモニとメピボセテ)
娘:メラブ、ミカル
従兄弟(または叔父[注 4]):アブネル(サウルの軍司令官)
孫:メリバアル、メピボセテ(ヨナタンの子[注 5])
家系図
アピヤ
ベコラテ
ゼロル
アビエル
ネル
アブネル キシ
アヤ アヒマアズ
リヅパ サウル アヒノアム
アルモニ メピボセテ ヨナタン エスイ マルキシュア アビナダブ エシバアル
(イシュ・ボシェテ) メラブ ミカル