サウスショアー線
路線図
基本情報
種類インターアーバン
起点ミレニアム駅 (シカゴ)
終点サウスベンド空港駅
サウスショアー線(South Shore Line)は、アメリカ合衆国のイリノイ州及びインディアナ州を走る鉄道路線。インディアナ州北部通勤輸送公団(Northern Indiana Commuter Transportation District, 略称NICTD)が運営するインターアーバン(都市間電気鉄道)である。
歴史イリノイ鉄道博物館(英語版)で保存されているかつての広告看板旧型電車(1966年撮影)サウスベンドのダウンタウンに乗り入れていた頃のサウスショアー線(1967年)
1903年、Chicago and Indiana Air Line Railwayにより開業。同社は翌1904年、Chicago Lake Shore and South Bend Railroad (CLS&SB)に改称。
1925年、CLS&SBは破産管在下に置かれ、同年設立のシカゴ・サウスショアー・サウスベンド鉄道(Chicago South Shore and South Bend Railroad、CSS&SB)へ売却された。第二次世界大戦期は利益を計上することもあったが、モータリゼーションの進展との競合により他の都市間鉄道と同様に衰退する。しかしながら、サウスショアー線は競合する通勤鉄道会社が存在しなかった等の理由により廃止は免れている(1976年にCSS&SBが申し立てた旅客輸送停止の申立ては、州際通商委員会から認可されなかった)。
1989年、CSS&SBは破産。NICTD(1977年設立、CSS&SBの運営資金を補助していた)が運営を引き継ぐ。
1990年、サウスショアー線の路線はNICTDに売却され、旅客列車の運行を継続するとともに貨物列車の運行はシカゴ・サウスショア・アンド・サウス・ベンド鉄道としてアナコスティア・アンド・パシフィック社傘下で行う形に分離独立された。
1992年10月21日、それまで終着駅となっていたアムトラックのサウスベンド駅に代わって、市北西端に立地するサウスベンド国際空港(South Bend International Airport、当時はサウスベンド地域空港)までに短縮された。
2023年11月に向けて、サウスショアー線の複線化計画が進行している。[1]これに伴い、ミシガン市の11番街駅付近の併用軌道は取り壊され、再開発の計画が進行している。[2]
路線シカゴ中心部ではハイライナーと呼ばれるメトラの2階建て電車と並走するハイライナー形電車はサウスショアー線にも若干存在する。起終点のミレニアム駅にて併用軌道を走行するサウスショアー線の電車
画像の区間と電車は現存しないミシガンシティの11番街の併用軌道区間に進入したサウスショアー線の電車
イリノイ州シカゴ・ダウンタウンのミレニアム駅(Chicago Millennium Station、旧・ランドルフ駅) と、インディアナ州サウスベンドのサウスベンド空港駅(South Bend Airport (NICTD station))とを約2時間半で結ぶ。
イリノイ州内のミレニアム駅 - Kensington駅の区間は、同州の州内鉄道メトラ(Metra)のMetra Electric Line(ME線)の軌道を利用する。
途中、インディアナ州ミシガンシティに併用軌道(道路上に敷設された軌道)区間を有していたが、2022年2月25日限りで併用軌道は廃止されている。 サウスベンド空港駅を出たサウスショアー線は空港のすぐ東を通るベンディックス・アベニューに沿って南下し、次いでウェストムーア・ストリートに沿って西進し、かつての終着駅だったサウスベンド駅に伸びる線路と合流する。この合流点からハドソン・レイク駅までの区間はノーフォーク・サザン鉄道のシカゴ線の北側を並走する。このシカゴ線はアムトラックのレイクショア・リミテッドとキャピトル・リミテッドが走行する路線でもある。ハドソン湖畔のハドソン・レイク駅を出ると、サウスショアー線は真っ直ぐ西へ、ミシガンシティーを目指して進む。ミシガンシティーでは11番街の道路の真ん中を走っていた。アムトラックのミシガン・サービス
路線概況
ミシガンシティーを出たサウスショアー線は、インディアナ・デューン(砂丘)州立公園(Indiana Dunes State Park)のただ中を走る。この区間にはアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されているビバリー・ショアーズ駅(英語版)も含まれる。その後、前述のシカゴ線と交差ののち今度は南側を並走する。マイケル・ジャクソンの故郷として知られるゲーリーではダウンタウンとゲーリー・シカゴ国際空港付近に駅があるが、空港駅はターミナルから2km程離れている。