サウスゲイト_(カリフォルニア州)
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サウスゲイト
City of South Gate


市章

愛称 : ツツジの都市
位置

ロサンゼルス郡内の位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度56分39秒 西経118度11分42秒 / 北緯33.94417度 西経118.19500度 / 33.94417; -118.19500
歴史
市1923年1月20日[1]
行政
アメリカ合衆国
  カリフォルニア州
 ロサンゼルス郡
 市サウスゲイト
City of South Gate
市長ヘンリー・C・ゴンザレス
地理
面積 
  市域19.38 km2 (7.48 mi2)
    陸上  19.08 km2 (7.37 mi2)
    水面  0.3 km2 (0.12 mi2)
      水面面積比率    1.57%
標高37 m (120 ft)
人口
人口(2020年現在)
  市域92,726人
  備考[2]
その他
等時帯太平洋標準時 (UTC-8)
夏時間太平洋夏時間 (UTC-7)
公式ウェブサイト : ⇒City of South Gate

サウスゲイト(: South Gate)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡南東部にある都市。ロサンゼルス市中心街の南東11kmに位置している。人口は9万2726人(2020年)。

1923年1月20日にロサンゼルス郡管理委員会によって市制が執行された。1965年にツツジを市の花に採用したので、「ツツジの都市」と呼ばれるようになった。市章の中にもツツジの絵が使われている[3]。1990年、全国市民連合から全米都市賞を受賞した10自治体の1つになった。このマークも市章に入っている。
歴史

サウスゲイトとなった地域にはトングバ族インディアンが住んでおり、その後16世紀半ば以降にスペイン人牧場主が開発してきた。初期スペイン人開拓者の中にはカリフォルニアでは初の家族であるルゴ家があった。1769年、スペイン人探検家の集団がサンディエゴの海岸からサンディエゴとモンテレー湾の間の未だ地図が無かった地域の探検に出発した。彼等にフアン・クレスピ神父が同行しており、歴史家達はクレスピのことを新世界探検における偉大な日記作成者の一人と考えている。その日記は探検隊が通過した土地の状況を詳細に記している。探検隊はサンガブリエル・バレーの方向に進み、1769年8月2日にロサンゼルス川を越えた時にクレスピがこの川を「ポルシウンクラ」と名付けた。ルゴの得たスペインによる土地特許の話などが無ければ、サウスゲイトの歴史はまだ記されなかったと考えられる。この特許土地は現在のサウスゲイト市大半に及んでおり、この地域の歴史を鮮やかに伝えている。サリナスに近いサンアントニオ・デ・パドゥア伝道所に滞在している間の1775年に、フランシスコ・ルゴのカリフォルニアでは最初の息子、アントニオ・マリア・ルゴが生まれた[4]。この息子がスペインの貴族で軍人であるドン・アントニオ・マリア・ルゴとなり、現在のサウスゲイト市となる土地を含む3万エーカー (120 km2) の土地に入植した。1810年、ルゴとその父がスペイン王室に対して軍人として貢献したことの報償として、スペイン王が正式にルゴに対する土地特許を承認した[4]。ランチョ・サンアントニオはサンガブリエル・バレーとを分ける低い丘陵から南は昔のドミンゲス・ランチョまで、ロサンゼルス砦の東境界からサンガブリエル川にまで及んだ。ルゴは1816年から1819年までロサンゼルスと呼ばれた小さな町の町長にもなった[5]

ルゴの土地特許が降りてから100年と少し経ったときに、牧場の南ゲイト付近の地域がサウスゲイト市となった。ドン・ルゴの一家が成長するにつれて、サンバーナーディーノ・ランチョなど他の特許土地を子供達の名前で取得していった。

将来サウスゲイトとなる場所と隣接するは丘陵部は、夥しい牛や馬の群れがあらゆる方向から毎年春のロデオが開催される共有地に集まってくるとき、華やかな壮観をなした。ルゴは家畜の所有権に関する論争や農業に関する論争について訴訟を手配し解決させた。ルゴが鞍に乗っているとき、彼が裁判官であり、平原は裁判所だった。

特許土地が世代を追って受け継がれていくと、子孫の間で分割され、最後は細かく分けられてルゴ一家以外の者に売却された。ドン・アントニオの息子ビンセンテ(1820年-1889年)は5.5エーカー (22,000 m2) の土地にそのアドビ住居を建てた。これがルゴ牧場と呼ばれ、現在のベルガーデンズ市ゲイジ・アベニュー沿いにある[6]

1870年代が終わるまでに、当初の特許土地は40エーカー (160,000 m2) の区画で分割されていた。1880年には地域の最も重要な産業として牛の飼育業の代わりに農業が成長していた。1910年から1940年の間、農業用地の大半が住宅と工場に変わった。今日、この土地は高速道路で分割されており、山脈から大洋まで広大な平原が拡がっていた往事を偲ぶことは難しくなっている[6]

R・D・トゥイーディの一家がサウスゲイト市の歴史で重要な役割を果たした。トゥイーディは1812年にイリノイ州で生まれ、1852年に牛に曳かせた荷車でカリフォルニア州に来ていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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