「サイバーパンク」とは異なります。
サイファーパンク (英: cypherpunk)とは、社会や政治を変化させる手段として強力な暗号技術の広範囲な利用を推進する活動家である。元々はサイファーパンクメーリングリストでの対話を通じて、非公式なグループが暗号技術の積極的な利用によるプライバシーとセキュリティの確保を狙ったものである。サイファーパンク達は1980年代の終わりから活発な運動に携わってきた。 1970年代までは暗号技術は主に軍や諜報機関で秘密裏に利用されていた。しかし70年代に2つの技術が公表され、機密から大衆の知るところとなる。1つは後に非常に広く使われたブロック暗号である「データ暗号化標準」(DES)の、アメリカ政府による公表である。もう1つはホイットフィールド・ディフィーとマーティン・ヘルマンによって初めて公開された公開鍵暗号に関する研究である。 サイファーパンクの観念に関する技術的な起源は、暗号学者であるデビッド・チャウム
歴史
メーリングリスト前
80年代の終わりにはそれらの観念は結合して1つの運動のようなものとなった[1]。 1992年末、エリック・ヒューズ
サイファーパンクメーリングリスト
メーリングリストは1992年に初まり、1994年までに700人が購読していた[2]。全盛期には「サイファーパンク」は数学・暗号学・計算機科学に渡る技術的な議論、政治および哲学的議論、個人論争および攻撃など、そして多少のスパム[4]によって非常に活発なメーリングリストとなった。ジョン・ギルモアは1996年12月1日から1999年3月1日までに1日あたり平均30通のメールがあり、それ以前はもっと多かったとメールにおいて報告している[5]。1997年には購読者数は2000人に達したと推定された[2]。
1997年初頭にジム・チョートとイゴル・チュードフは、中央集権化されたメーリングリストの構造では避けられない単一障害点を無くすために、ネットワーク非依存のメーリングリストノード群であるサイファーパンク分散リメーラーを配備した[6]。全盛期にはサイファーパンク分散リメーラーは7つのノードを備えていた[7]。2005年中頃にはal-qaeda.netが唯一残されたノードを運営していた[8]。2013年中頃には短い中断の後、al-qaeda.netのメーリングリストソフトウェアはMajordomoからGNU Mailmanに変更され[9]、その後ノードはcpunks.orgと改名された[10]。サイファーパンク分散リメーラーの構造は今や失なわれたが、メーリングリストの管理者はこの機能を新しいメーリングリストソフトウェアに組み込む方法を探っていると2013年に表明している[9]。
長い間サイファーパンクメーリングリストはメールボム送信者にとってポピュラーなツールであった[11]。メールボム送信者は被害者にメーリングリストを購読させ被害者にメッセージの洪水が届くようにした(これはメールボム送信と呼ばれるようなテロリズムではなく普通はいたずらとして実施された)。この現象は購読に返信を必要とするシステムの採用をメーリングリスト管理者に促した。メーリングリストでは典型的には1日約200通のメッセージがあった[12]。
ガープス・サイバーパンク強制捜査といった事件は非公式な個人でもプライバシーの保護を進める必要があるという考えに重要性を持たせた。メーリングリストには幅広い論点があり、意義無く完全に合意されていた物は1つとしてなかっただろう。しかし基本な姿勢としては明らかに個人のプライバシーや個人の自由を他より優先していた。 メーリングリストではプライバシー・政府による監視・企業による情報の操作・その他10年程度後まで広い議論の主な主題とならなかった関連する90年代初めの問題について議論していた。少なくとも一部のメーリングリスト参加者はそれらの問題に対して他のほとんどの人より急進的であった。 メーリングリストにおける文脈について理解しようとするならば暗号技術の歴史を参照することになるだろう。90年代初めアメリカ政府は暗号ソフトウエアを輸出に際してはそれを「軍需品」とみなしており、知識とスキルはアメリカ市民に限られないため、「国家の安全保障」につながらない商用利用を妨げていた(PGPのソースコードはそういった規制を回避し、規制のくだらなさを示すため紙の本として出版された)。またアメリカ政府は暗号技術を無力化しようとしていた(例えばスキップジャックの採用と暗号鍵の提出を要請した)。
オンラインでのプライバシーに関する初期の議論