サイシャット族
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出典検索?: "サイシャット族" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2016年5月)
2006年の南庄、向天湖の矮霊祭

サイシャット族(サイシャットぞく、サイシャット語:SaySiyat/台湾華語:賽夏族)は、台湾先住民の一つ。古い文献では「サイセット」とも書かれた。

2020年8月の時点で、サイシャット族の人口は6,769を数える。彼らは台湾で小さな原住民のグループの1つである。台湾の西部、新竹県苗栗県の境界にまたがって居住している。彼らは、各々の方言と地域によって、北と(山岳地帯の新竹県の五峰郷サイシャット語: Say kilapa:)と南(苗栗県の高地の南庄郷獅潭郷サイシャット語: Say walo')に、二つ支系が分けられる。彼らの言語は、サイシャット語としても知られる。

? サイシャット語ラテン文字で表記するにあたり、大文字Sと小文字sは、異なる発音を表音するものである。英語の表記と異なり、語頭の文字や固有名詞の語頭も小文字で表記する。
神話と祭礼
サイシャット族の祖先

太古、大洪水によって人類の大半が死に絶えた折、兄妹が手織り機の胴に乗って漂流し、'oepeh na bo:ong(山の名前または神様、現在の大霸尖山)という山の山頂に漂着した。だが、妹は間もなく死に、兄は嘆きながら妹の遺体を幾重にも切り分けた。そして木の葉で肉片を丁寧に包み、次々と水中に投じた。すると、肉の塊はそれぞれ一人の人間に姿を変えた。彼らは豆(tawtawazay、意味:落花生)や日(tanohila:、意味:太陽)や風(ba:ba:i'、意味:風)など、サイシャット族のそれぞれの苗字の先祖である。だが、最後に生まれた人間は、苗字が無い。この者はタイヤル族(Saypapa:aS)の先祖という。
パスタアイ祭り

サイシャット族は、パスタアイ(paSta’ay)という独自の祭礼を伝承していることで有名である[1]漢語では「矮霊祭[2]。」と呼ばれる。

この祭りの由来については、記録によって多少の差異があるものの、以下のような話が伝承されている。

昔、タアイ (ta'ay) という背の低い精霊族がいた。タアイは川の向こうにある山上の洞窟の中に住み、サイシャット族に農耕や祭礼の歌や踊りなど様々な文化を伝授してくれる存在だった。そこでサイシャット族らは秋の収穫後に感謝の気持ちを込め、タアイの洞窟に一本の矢を放つことで招待状を送り、タアイを村に招いて宴会を開く。しかし、タアイの男性は荒淫であり、サイシャット族の女性にちょっかいを出し、挙句は性的暴行に及ぶのだった。だがタアイは魔法や呪術を操るため、サイシャット族らは仕返しを恐れて泣き寝入りの状態だった。

ついに耐えかねたサイシャット族たちは、復讐のため計略をめぐらせる。タアイはいつも宴会がお開きになった後、谷の側にある枇杷の大木に登って休憩する。そこで、村の青年たちはこっそり樹幹の下半を切り、泥で木の傷を隠した。何も知らないタアイはいつものように木に登ったところ、重みで幹が折れ、樹上のタアイらは谷底に墜落し、全滅してしまった。木に登らなかったため難を逃れた2人のタアイの老人は自らの一族の迷惑行為による結果だとして、サイシャット族らに死んだタアイを祀る「パスタアイ祭り」の式次第と聖歌を伝え、東方へ離れていった。あるいは、2人の老タアイはサイシャット族の仕打ちを怒り、去りながら呪いの言葉を残し、一つ呪いをかけるたびに、クロツグの葉を裂いた。一回、もう一回と裂いていくうちに、クロツグは現在のような幾重にも裂けた羽のような姿になったという。

仮に祭りを行わなかければ、農作物の不作、不幸、挙句は滅亡の危機に晒されるという。それで、タアイの霊を慰めるため3日間で徹夜の祭礼を行う。最初にタアイ老人から聖歌を伝授されたのは、朱(titiyon、意味:数珠玉)という苗字の家族だった。そこで、パスタアイは主に朱氏の一族によって導かれる。平日に聖歌を無断に唄うのは、禁止される。

北サイシャット(新竹県五峰郷)と南サイシャット(苗栗県南庄郷)でそれぞれ2年に1回祭礼が行われる。また、10年に1回大祭が行われる。祭日は主に旧暦10月15日の前後行われるが、祭りの準備をすることや、前祭り(タアイの魂を招き)や後祭り(タアイの魂を見送り)や終了を祝う宴、そして、北サイシャットだけがある川辺でタアイの魂を再び見送りなど、数日間にまたがって挙行される。

この祭りは、2013年に「重要民俗文化財」に指定された[3]

’ineseng:魔除けのススキ。ススキは祭場で最も重要な御守りである、祭りの期間、どこでも見える。特に、タアイの霊(koko ta'ay)は悪意があり、悪戯をするので、参加者は誰でもススキを結び、腕などに付けるだけでなく、カメラスマートホンなどの撮影機材までにも取り付ける。

lohong ki 'aSo':は神聖な祭器である。タアイに捧げるを搗く臼と杵は、勝手に触れてはいけない。特に妊娠中の女性、妻が妊娠中の男性が触れるのは厳禁である。パスタアイの2日目に、タアイの魂を娯楽させ、午前0時に、悲しげな聖歌、雷女の歌(wawa:on)が歌われる寸前に、聖歌や踊りが暫く中止され、皆は東方に向き、朱家のリーダーは臼の上に登り立ち、音頭をとって、皆を率い、「雷女の歌」の第一章を歌って、厳かに訓辞を述べる。教示が終わってから、また「雷女の歌」第二章を唄い始め、祭りが再開される。

babte:蛇の鞭。木の皮で制作され、柄の形が、台湾原住民が神聖視する毒蛇・百歩蛇の頭のような鞭である。南サイシャットに使われ、北サイシャットには無い。パスタアイの時、鞭を振り、雷雲が去って、雨が降らないように、または疫病退散を願う。

kominSibok:ハシバミ(榛)の棒を飛び越える。3日目に、タアイの魂を見送り、別れる時、男性陣はハシバミの3本を祠の前に立てて、長い横棒で数個ススキを結んでから、青年たちは競って飛び上がり、ススキの結び目を奪う。青年が飛び上がり、腕を上げてススキの結び目を奪うにつれ、横棒を低く引っ張り、最後の一人の青年は一気に横棒を掴んで、ハシバミの横棒を落とすや、皆が一緒に折り壊し、持ち走り、タアイの帰り道、東方に捨てる。これは男性陣青年の闘志を表し、タアイを全員追い払うということである。

kilakil:肩で担う華やかな旗。各苗字の家族それぞれに苗旗を作る。または、違う家族が共同に一本の旗を作る場合もある。昔は帽子として頭で被って上げる旗だった。今は肩で担える旗だったが、次第に高くて大きくなり、両手で持ち差し上げられる形もある。聖歌を唄い、踊っている時、家族の若い男性は祭場で持ちながら歩いて、旗の面に家族の苗字が書かれ、家族の精神を表す。

katapa:ngasan:尻の鈴。リュックのように背負い、体を前後に振れば、チャラチャラと音がする。平日使うのは禁止。

sinaton:10年大祭の旗。10年ごとに差し上げる、とても高い旗である。北サイシャットは主に夏家(hayawan、意味:夜)に製作の任務を頼み、南サイシャットは順番交代である。タアイは旗に登り、上で祭りを観覧するという。そこで、サイシャット族は相当的にsinatonを重視する。勝手に触るのは憚られる。祭りを行っている時、担当の家族の人たちは一緒にsinatonを持ち、祭場を何回も回して巡行する。この折に旗をうっかり倒せば、担当者はじきに横死し、一族全員も不幸になる。そこで毎回sinatonが巡行している時、サイシャット族は緊張し、巡行が滞りなく終了すれば、安堵したという。
雷女wa:on

昔々、サイシャット族とタアイがまだ一緒に暮らしているころ。雷神が人間界に下り、ta:inという青年にアワの種が詰まった瓢箪を授け、アワの栽培法を教えた。

ta:inの母はすでに亡く、父は目が不自由で、ほかにきょうだいもいない一人息子だった。サイシャット族の風習では、二つの家族が娘がいれば、お互いに娘を交換して、嫁として家に入れて結婚したという。ta:inは姉妹も無く、父は目が不自由ゆえ、嫁の来手がなかった。

ある日、夜明けからta:inが畑で働いていると、猿が現れた。猿にサツマイモを荒らされると思った彼はで猿を狙ったところ、急に目の前の猿が消えた。

翌日、畑でキリンを見つけた。弓でキリンを狩ろうとしたところ、キリンは一人の不思議な女に奪われた。

この女性は雷神の娘、wa:onであった。キリンは重すぎるため、とても青年ta:inが一人で背負っては運べない。wa:onが雷鳴を轟かせると、キリンと昨日の猿がta:inの実家の屋根に乗っていた。でも、ta:inはまだ獲物が足りないと考え、ヤギを狩ろうと考える。wa:onは、一発の矢で、2匹のヤギを捕ろうという。ta:inは信じなかったが、雷鳴と共に、2匹のヤギが家の屋根に乗っていた。

未婚の男女が行動を共にすれば周囲から笑われるため、2人は出会ったその夜に結婚した。家に入ったwa:onのおかげでta:inは視力を回復した。

父は嫁に食事の支度をするよう頼んだが、wa:onは「自分はのような鉄器に触れられない」と訴えた。そこで父が家に残って家事を担当し、若夫婦は畑仕事に行った。ta:inはwa:onの指示に従って、6歩の距離ごとに、一本のを土に挿し、合計で鉈20本と鎌20本を全部挿してから、ta:inは先に家に帰った。雷鳴が轟いたので畑に戻ると、農事の作業は全て完成していた。

こうして、父と若夫婦は楽しく過ごしていた。だが、3年経ってもta:inとwa:onは子宝に恵まれなかった。父は心配しながら「妻として、一切料理ができなくてはおかしい。だから子供ができないのではないか」と嫁に説教した。wa:onはやむを得ずに、父を別室に行かせ、覗かないように約束させた上で自分一人で調理し始めたが、急に台所から雷鳴が轟いた。父子が慌てて台所に駆けつけると、wa:onの姿はなく、ただ一本の巨大なバナナの木がの側にあった。父子は嫁に感謝のそぶりも見せないため、wa:onは落胆して、振り向きもせず天上に帰ってしまった。

サイシャット族の伝統的な衣装には、の模様が織られている。これは雷女を記念するため、稲妻を図案化したものである。
龍神baki' Soro:


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